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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 9,決意 ●

 夜遅くの月風展望台に、佐奈の姿があった。その傍らには、彼女の愛車である白いスカイラインR33。
 DAシスターズ同窓会ロケの前日、1人でロケ現場の下見に行った彼女は、城戸崎海岸近くの駐車場に車を止めた後、その場所からは一旦バスで帰ってきた。
 そして、このロケの一日目が終わってから、宿泊先のホテルを抜け出して、近くの駐車場に止めてあった愛車で、ここまで来ていた。
 そのうちに、桜崎の乗ったR35GT-Rが月風展望台へと現れ、佐奈のスカイラインの隣へと止まった。下りてきた桜崎は、既に車から降りていた佐奈の方へと歩いていった。
「ごめんね。こんな場所に呼び出して」
「俺は別にいいけど…」
「あなただったら、当然知っているだろうけど…。どうして、嘘の報道なんかしたの?」
「まだ、俺はルナさんに告白していないけど、実質的に付き合っているようなもんじゃない?」
「それは…。何度も桜崎さんの家を訪ねて、いろいろ相談に乗ってもらったりしたけど…」
「…でも??」
「私は、桜崎さんとは付き合えない」
 桜崎は、佐奈が言い放ったその言葉に動揺を隠せなかった。彼女に好意を寄せていた彼ではあったが、いつしか相思相愛の関係で、熱愛寸前のところまできていたと、自分は思っていたからだ。
「私たちが互いに思っている気持ちとかは、多分違うと思う。少なくとも、私は桜崎さんが思っているほど好意を抱いてはいない」
「…えっ??」
「私には、もう好きな人がいたし、その人とは結婚前まで来ていた。でも、あの熱愛報道と会見で、その人は私から遠ざかってしまった。今もずっと、私はその人が好きだし、あの報道を嘘だと言って、仲直りをしたいと本気で思っているの。悪いけど、桜崎さんは『芸能界の中では仲のいい人』としか思っていないから」
「…何だよ。俺は、俺の考えで一人歩きしていたのか!?」
 桜崎が怒りをぶつけるかのように、今まで自分が車の中で飲んでいたコーヒーの空き缶を地面に投げつけた。その缶は地面にたたきつけられた反動で跳ね返り、彼の愛車へとぶつかった。
「これじゃあ、俺だけが赤っ恥じゃねえかよ!」
「もし、桜崎さんが私に対して、本当に恋を抱いていたんだったら…。命を奪ってでも、私を捕まえたい??」
「何だよ、それ…」
「…そういう事よ」
 そういうよりも前、佐奈は自分の車の鍵を桜崎へと放った。
「何だよ、これ…。俺に、ルナを殺せとでも言うのか??」
 鍵を何とか受け止めた桜崎は、訳が分からないまま問いかけたが、彼女は頷くこともしなかった。
「…この駐車場の一番端っこの出口で、地面で横になって空を見ているから。そして、あなたは私の車で何をする?」
 そう言うと、佐奈は車から離れて歩き出した。元DAシスターズのメンバーの3人とスタッフたちに、何も言わないで出てきてしまった。きっと、城戸崎海岸の宿泊先近くでは、きっと他のメンバーやスタッフが自分を探しているだろう。
「(…もう、いいや)」
 駐車場の端の出口まで来て、彼女は地面へと仰向けに寝た。耳元には、ここまで自分が乗ってきた愛車が、桜崎の手によって動いている音が入ってくる。ギアチェンジをする音や、アクセルを吹かす音まで。車の急発進する音が聞こえたとき、彼女はそのまま目を瞑った。最後に見た風景が満天の星空とでも言うように…。
 しかし、大きなブレーキ音が聞こえたのと同時に、車がすぐ前で止まったのが分かった。目を開けてみると、手を上げて横へ動かせば、すぐに触れるような位置に、彼女の愛車は止まっていた。
「やっぱり…。俺にはルナさんを殺すなんて出来ない!!」
 車から降り、桜崎が半ば泣くような声でそう叫んで、その場から駆けていったのが聞こえた。
 そのすぐ後には、自分の車の音とは違う、別の車が急発進していく音がした。きっと、桜崎が自分の車で、その場を去っていったのだろう。
 真夜中の展望台には、地面に横たわっている佐奈と、彼女の愛車であるスカイラインR33が、エンジンをかけたままの状態で、しかもライトをつけたまま残されていた。
(私は… 何をやっているんだろう)
 起きたはしたが、そこから立ち上がることもせず、車のライトが照らす前で、ただ1人座り込んでいた。

(どれくらい経ったんだろう…)
 佐奈は相変わらず、車の前でただ座り込んでいた。さほど厚着もしていないために肌寒く、コンクリートの上にそのまま横になっていたため、その硬さと冷たさが身にしみていた。そのせいか、普段は気にしていなかった愛車のライトやボンネットが熱を帯びて、暖かくなっているのに気づいた。
 桜崎に車の鍵を放った地点で、彼女は死を覚悟していた。
 しかし、彼は車を急発進させた後に急ブレーキを踏み、彼女の直前で止めた。今の彼女には、まだ生きていると言う安堵感とは別に、なんともいえない絶望感があった。
「何しているんだか。アスファルトに横になって…」
 ロケ現場を夜に抜け出してまで、ここに来て何をしているのかと、自問自答していた。
 そんな中、自分の車のエンジン音に混じって、温泉街のほうから車が上ってくるような音が聞こえてきた。
「きっと、みんな心配しているだろうな…」
 そう呟いたとき、温泉街から上がってきたであろう車が少し通り過ぎたところで一度止まると、駐車場内へと入ってきた。
 そして、彼女の車の少し後ろについた地点で、その車が止まった。
「…誰が、来たのかしら」
 きっと、桜崎が心配して戻ってきたと、彼女はそう思っていた。
 車の陰からそっと、車の後ろのほうを覗いてみると、その車は桜崎のものではなかった。
「桜崎さんじゃない。いったい、誰??」
 よく見ると、その車は彼女がずっと好意を抱いていた相手・純一の車と同じ車種だ。しかし、色とナンバーまでは分からないため、彼とは判断できない。
 車のドアが閉まる音の後、だんだん近づいてくる足音に、佐奈はどうしようか戸惑っていた。
(どうしよう…。マネージャーやスタッフではない、見ず知らずの誰かだったら…)
『…こんな寒い中で、外で何を座り込んでいるんだ??』
 肩をポンと叩かれたのと同時に声をかけられて、佐奈は驚いて『ビクッ』としたかのように飛び上がると、手が触れてきた方へと向いた。
「なっ… 何??」
「…やっぱり、ここにいたのか」
 後ろから近づいて声をかけてきたのは、佐奈にとっては聞き覚えのある声だった。
 それが見ず知らずの誰かだったらどうしようかと、不安に思っていた彼女は少し安堵した。
「どうして、ここに??」
「佐奈がいなくなったと、高橋さんから聞いてね。城戸崎海岸のところの駐車場に、前もって車を止めてあれば、こっちまで来ると思って、来てみたんだ」
 そっと肩を叩いて声をかけてきたのは、青葉台交通の制服に、厚手のコートを着た純一だった。
「この分だと、車の外にずっといたみたいだね」
「…外にいたどころじゃなくて、アスファルトの地面に横になっていたと言った方が正しいかな」
「どうして??」
「どれくらいか前まで、桜崎さんと一緒にいたの。付き合っているとかそういうのではなくて、間違った事をなぜ流したのか聞きたくて、私が展望台に呼び出してさ…」
「間違った事…??」
「あの報道の事よ。私と桜崎さん、本当は付き合ってはいないの。付き合ったという報道は、向こうが流した事で…」
「…それにしても、寒いだろう。そんな格好だと」
 純一は自分が着ていたコートを脱ぐと、そっと彼女に羽織らせた。
「このコートを私が着たら…。純一君の方が、寒いんじゃない??」 
「大丈夫。俺は全然平気だから。それより…」
「…」
「佐奈に怪我とかあったら、どうしようかと思ったよ。とにかく、無事でよかった」
 彼女の車の後ろにある、まだ新しいブレーキ痕。純一はそれを見たとき、最悪の事態すら想定していた。しかし、佐奈は車の外にはいたものの、怪我ひとつしていないようで、一安心した。
「行こう。みんなが城戸崎海岸で、心配して待っているから」
「…待って」
 純一が佐奈の手を引いて歩き出そうとしたが、彼女はその場から動こうとはせず、逆に彼の手を握り返した。
 その彼女の目には、うっすらと涙があふれていた。純一にはどうしようも出来ず、ただ彼女の言葉を聞いていた。
「純一君が探しにきてくれるなんて、思いもしなかった」
「何を、急に…」
 純一の携帯電話が、佐奈に着せたコートのポケットの中で鳴り出したが、彼女はそれに構わず続けた。 
「あの報道が出たとき、真っ先に否定する会見するか、電話すればよかった…」
「…」
「桜崎さんとは、芸能界で仲のいい友達だけの関係だった。でも…」
「…もう、いいよ」
「でも、しょうがないよね。あんな報道や会見をされたら、純一君が勘違いしたとしても…」
「…いいよ、その話は」
 純一は無意識のうちに、そっと佐奈を抱き寄せた。
 今になって思えば、あの日、あのエレベーターの前で冷たく言い放った一言は、少なくとも彼女を傷つけた事は分かっていた。佐奈が本当に桜崎と付き合っていたのであれば、彼女が純一を呼び止めるようなことはしないはずだと思った。
「あの日、事務所のエレベータの前で、純一君に言われるまで、あの報道は知らなかったから、あの時は何のことと思った。それを知ったら、あのときの純一君の言葉が分かる気がした…。だから、ここに桜崎さんを呼んで、ちゃんとはっきりさせたかった。そうじゃなきゃ、純一君に顔を合わせられないと思った…」
「…そうだったのか」
「…ずっと、怖かった。もう、顔を合わせる事も、話す事もできないんじゃないかと思って…」 
「佐奈…。俺こそ、報道なんか信じて、勝手に突き放したりして、本当に悪かった」
「そんな事いいよ。でも、よかった…」  
 純一の携帯電話がコートの中で再び鳴り、佐奈が着ているコートのポケットから取り出すと、通話ボタンを押した。
『藤本さん、今、どこにいますか??』
「今?? 月風展望台だよ」
『それで…。佐奈さんはいたんですか??』
「いたよ。やっぱり、自分の車に乗ってきていたみたいだ。でも、怪我とかは全然無いみたいだよ」
『そうですか。よかった…』
 電話からは、佐奈が無事に見つかった事を知って、一安心する高橋たちの声が聞こえてきた。
「佐奈。みんなに心配かけているんだから、ちゃんと、自分で話したほうがいいよ」
 彼女に電話を渡すと、熱を帯びていた彼女の車の運転席のドアを開け、運転席に乗り込むとエンジンを一旦切った。
 いつだっただろうか。自分が仕事帰りにこの場所へ来て、朝風ルナに『夜景がきれいですよ』と電話をかけたら、彼女は買ったばかりだと言うこの車を運転して、この展望台まで上って来た。
 出会った当初は、互いに忘れていた(佐奈がどうかは分からないが、少なくとも純一は忘れていた)ため、純一はアイドル『朝風ルナ』と仲良くなっていた。
 その時には、朝風ルナの正体が佐奈だという事は、夢にも思わなかった。
「佐奈は『朝風ルナ』になって、彼女なりに成長していったんだな…。そして、同じような車に乗っていたりさ…」
 車のフロントガラス越しに、外で電話している彼女を眺めながら、1人で物思いにふけっていた。 
「何を考えているの??」
 一思いにふけっていて、彼女が電話で話し終えたことに気づかなかった。その声で我に返ると、電話を片手にドアのところに手をかけて、車内の純一を覗き込んでいた。
「いや…。なんでもないよ。自販機で何か買って飲んでから、城戸崎海岸まで戻ろうか」
 2人それぞれが車に乗ってきていたため、純一が先に行き、佐奈が後を追う形で、月風展望台を後にした。一旦、彼女の自宅まで行くと、車庫に彼女の車を止め、純一の車で城戸崎海岸へ向かった。
 城戸崎海岸に着いたときには、佐奈を探しに出ていたというスタッフたちも既にホテルの前に戻ってきており、怪我もなく帰ってきた彼女を見て、ほっと胸をなでおろしていた。

 桜崎が所属事務所の一室で『私は、朝風ルナさんと交際していたと言うのは、完全な思い違いでした。交際は一切しておりません』と会見をしたのは、翌朝になってからだった。
 交際していたのは嘘…。それは、交際していると会見をした張本人である桜崎 敏仁や、彼が所属する芸能事務所『桜崎プロダクション』の社長であり、父親である桜崎 隆仁にとっては恥なことだろう。
 しかしながら、ちゃんと会見で『交際否定』したことについては、純一と佐奈らはホッと一安心した。
 佐奈はロケが終わってから、所属事務所である桜崎プロダクションの社屋前で会見を開き、続けて桜崎との交際を否定、純一(一般の人と名前は伏せてはいたが)と交際している事を、正式に発表した。
『私は、桜崎さんが交際を発表するよりずっと前から、青葉台市に住む一般の方と付き合っております』 
 記者たちの質問に淡々と答える彼女を、純一は会見の数時間後にテレビで見た。
 ぼんやりと耳元に、佐奈と桜崎が付き合っているという謎の電話をかけてきた非通知の声がよみがえってくるが、それは全然気にしなくなった。
 それよりもずっと、一番大切な人を失わずに済んだこと、面と向き合えてちゃんと話せた事が、今の純一には大きかった。
 そして、あの嘘の報道の新聞が、まだ机の上においてあったのに気づき、それをビリビリに破いて、ゴミ箱へと投げ捨てた。彼女に対する疑念の気持ちはすっかり晴れて、清々しい気分だった。
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