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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 7,再婚した父親 ●

「何だか…。気が抜けたな」
 青葉台交通にロケバスの依頼書が来たときは、ほとんどが純一を運転手に指定しているものがほとんどであった。それは青葉台交通がまだ独立する前、まだ東海電気鉄道青葉台営業所だったときもそうであった。どの依頼書にも、出演者の欄には『朝風ルナ』という名前が必ず入っていた。
「何で、純一だけが、朝風ルナが出る番組のロケバス運転の依頼されるのかね」
 純一はその言葉を、ロケバス運転の仕事を引き受けるたびに同僚から言われた。でも、そう言われるのは嫌ではなかった。確かに芸能人をサイン会などのイベントに参加することなく、目の前に見る事ができると言う、何よりもいい機会だった。その反面、テレビに映るかもしれないと言う心配があったりして、そのロケバスの仕事が終わるまでは緊張も抜けなかった。会社に依頼は来たものの、今回は自分が行かなくていいことになって、少し安堵していた。
「…ロケバスの仕事に関しては、俺がどうのこうの言える立場じゃない」
 青葉台バスセンターに止めたバスの運転台に座り、腕時計を見て発車時刻を待っていた。 
『このバスは、青海温泉場経由城戸崎海岸行きでございます』
 ロケバスの商談をした日の午後、純一は路線バスの運転に出た。数時間前、佐奈に言い放ってしまった言葉に後悔をしてはいた。しかし、それをいつまでも思い返していても仕方ないし、仕事をして忘れてしまおうとしていた。
 既に車内には乗客が何人か乗っているし、運転手が落ち込んだような気分でいては、せっかく乗ってくれている乗客も気分が悪いだろう。
「お待たせいたしました。城戸崎海岸行き、発車いたします。発車の際、多少ゆれますので、ご注意ください」
 マイクを通して注意を促すと、バスを発車させた。
『次は、青葉台交通本社前、青葉台交通本社前でございます』 
 自動放送で停留所の案内を流すと、まもなくして青葉台交通本社の建物が見えてくる。東海電気鉄道青葉台営業所時代から引き継いだ建物は、白色のペンキが色褪せはじめている。
(そろそろ、本気でペンキ塗ることを考えないとな…)
 純一はそう考えている間に、本社前のバス停が近づいてきた。バス停に駆け寄るような人影もないし、肝心のバス停にも人が待っているような気配はない。
「青葉台交通本社前、通過いたします」
 とりあえずマイクを通して放送を流した。特に放送する事もないが、純一はくせにしていた。その方が、このバスがどこを走っているのかが乗客にも分かるだろうし、第一にハンドルを握っている自分が集中しなおすにも有効だと思っているからだ。
『次は、高葉渡、高葉渡でございます。このバスは、中里町役場方面へは参りませんので、ご注意ください』
 中里町方面へ行く路線は、この高葉渡バス停で別れて、綾里バス停で再び合流する。距離的には同じものだが、青海温泉場方面への路線は、ここから何キロか上り坂が続く。もう一方の中里町方面への路線は、しばらくは平らな道路を走った後に、下り坂を降りて中里町の中心街へと入っていく。観光路線とそうでない路線とで、実際に運行してみて比較的簡単に違いが分かる区間でもあった。無論、終点である城戸崎海岸まで行く場合には、中里町経由のほうが早く行ける。
『次は、月風展望台、月風展望台でございます』
 純一が仕事が終わると自分の車で来てしまうのが、月風展望台というところだ。高葉渡バス停を少し過ぎてから続く上り坂の頂上にあり、中里町とか城戸崎海岸などを見渡すことが出来る場所だ。
(…珍しいな。この時間帯に、この展望台から乗る人が居るなんて)
 この展望台の上にあるリゾート施設が閉鎖されてから、この展望台に立ち寄る人の大半は車で来る人だ。それだけに、普段ここを通るバスのほとんどは、駐車場の中にあるバス停に立ち寄るが、若干スピードを落として景色を見てもらうと、そのまま通過してしまうような感じになっていた。
 今回は珍しく、女性が一人で展望台のバス停に立っていた。この展望台に女性が一人で来るものなのかと思ったが、そこは気にしないつもりだった。
「お待たせいたしました。青海温泉場経由城戸崎海岸行きでございます」
 マイクを通して放送して中扉を開けると、バス停で待っていた女性が乗り込み、中ほどの座席へと座った。ここからバスに乗るとすれば、彼女はいったい、ここまで何で来たのだろうか。
「城戸崎海岸行き、発車いたします。多少揺れますので、ご注意ください」
 純一は車内を一度確認してから再びバスを発車させると、青海温泉街のほうへとバスを進めていった。その車中、ずっと展望台から乗ってきた乗客のことが気になっていた。さっきから、窓に映る景色を見ないで、運転席に座る自分の方を見ているのだが、何の目的があるのかは分からない。でも、ひとつだけいえるのは、一瞬だけ見た覚えがあるという感じがするだけということだ。どこで見たのかは、さっぱり覚えていない。
『次は、青海温泉場、青海温泉場でございます』
 自動放送が流れると、乗客の誰かが降車ボタンを押した。
「次、止まります」
 確認するかのようにマイクを通して放送をすると、乗客の何人かが、料金表示を確認している。
 温泉場のバス停に着くと、大半の乗客が席を立った。ちゃんと事前に運賃を出している乗客がいれば、降りる間際で両替してから払う人もいた。
「ありがとうございました」
 降りていく乗客一人一人に挨拶をし、再び車内を確認すると、降車扉である前の扉を閉めて、再びバスを発車させた。ここから乗ろうとしていた人はいなかったし、ちゃんと確認もしたはずだ。
 温泉場を過ぎた地点で、車内に居る乗客は一気に少なくなり、途中のバス停から乗ってきた乗客3名と、月風展望台から乗ってきた女性客の4人だけになっていた。
『長らくのご乗車、ありがとうございました。次は終点、城戸崎海岸、城戸崎海岸でございます。どなたさまも、お降りの際、お忘れ物のございませんように、今一度、身の回りを、お確かめください』
 終点のバス停に着くと、3人の乗客は次々とお金を料金箱に入れて降りて行くのに対し、月風展望台から乗ってきた女性客は、他の3人の乗客が降りてから、席を立って、前のほうへと歩いてきた。
「あの…。ちょっと、お尋ねしてもよろしいでしょうか??」
「はい。何でしょう?」
「…あなたが、藤本 純一さんですよね??」
「はい。そうですけど…。それが、何か??」
「申し遅れました。私はKCR化粧品の営業で、岸田 智子と申します。先日まで、あなたのお父様の下で働かせていただいた者です」
「…岸田さんというのですか。それはどうも」
「それで…、お父様から、何かお話を聞いていらっしゃいますでしょうか?」
「いいえ、全然…。あの事故の後から、私は父に会っていませんし、電話をした覚えもありません」
 事故のずっと前から、純一は父親と話したことはない。仕事の関係で、一緒に食事をすることもないし、車のこともある。純一が自分で乗ることを目的に買ったアルファードを勝手に乗り回した上に、飲酒運転をして、それが原因になって事故を起こした。
 あの車が今どうなったのかさえも、純一は知らない。ただひとつ知っていることは、純一が書類を送りつけて『名義変更』と、車の代金一切を払うように手紙を出して、ようやく名義変更をしたことと、それから2ヵ月くらい経って、両親が離婚したことだろうか。
 それまで住んでいた家は、地元不動産会社に売り、父はどこかにマンションを借りて別居し、母と祖母は青葉台市街地にある母の妹の嫁ぎ先へと身を寄せていた。
 純一は、営業所時代には全然使っていなかった寮の一室を掃除して、そこで一人暮らしをしていた。
「そうですか…。それなら、いいです」
 岸田はそう言うと、料金箱にお金を入れて、さっさと降りて行ってしまった。
「親父のかつての部下?? なんで、その人がわざわざ…」
 営業職であれば、会社が営業用の車をあてがってくれるはずだ。それをわざわざ、月風展望台からバスに乗ってきたのは、何か理由があるのではないか。
「…親父の浮気相手というのが、あの岸田とか言う女の人だったら、再婚してもおかしくはないか…」
 バスを乗り場につけると、純一はバスの運転台から立ち、前扉を開けて外へ出た。
 既に両親が離婚してから半年以上は経過している。あの事故で逮捕されたのをきっかけに、きっと母は浮気していた親父に見切りをつけ、三行半を突きつけたのだろう。
 それから、浮気相手とうまくやっているのであれば、再婚してもおかしくはないかもしれない。
「ありえそうな話だけど、そうであってほしくはないな…」
 折り返しの発車時刻を待つ間、純一はバスの外で、ただぼんやりと海岸線を見ながら考えていた。

「終点、青葉台バスセンターでございます。ご乗車ありがとうございました」
 城戸崎海岸からの折り返しのバスを運転して、青葉台バスセンターまで戻ってきた純一であったが、運行途中でかかってきた無線の事で、考えがまとまらなくなっていた。
 乗客を降ろすと、既に待機していた別の運転手に運行を任せ、青葉台交通本社へと戻った。その敷地内には、見慣れた白いアルファードが止められており、ご丁寧にも、純一のスカイラインの前に止めてあった。
「何を考えて、あの場所に止めるんだか…」
 乗務してきた2442号車を所定の駐車位置に下げて、そのまま終業点検すると、そのまま事務所の中へと入っていった。
「よお、社長。上手くやっているか?」
「親父…。何が『よお』だよ。急に会社まで訪ねてくるなよ」
「そう言うな。女房やお前には、苦労掛けっぱなしで悪かったな」
 事務所の応接室にそのまま通させられると、そこに座っていたのは純一の父である竜二郎と、今日の午後に月風展望台から城戸崎海岸まで乗せた、岸田とか言う女性が並んで座っていた。
「化粧品会社時代の後輩さんを連れて、何か用かよ…」
「一応、再婚する事にしたからな。一応は挨拶でもしておこうかと、顔を出したんだ」
「…いい年して、随分と口が軽いね」
「そう言うなよ。一応、紹介しておくか。今回、再婚する相手の岸田 智子さんだ。俺が事故する前から、いろいろ世話とかをしてくれてな。あの事故から急に近づいてしまってさ」
 経緯を話しながらも、何か笑い口調の父親に、純一は呆れていた。
「まったく、気楽に言ってくれるよ。俺なんか、青葉台交通の発足準備に奔走していたときに事故を起こされて、心配とかが絶えなかったのに…」
「…そうだろうな。それにしても、あの相手って誰だったんだ??」
「石川建設のお嬢さん。俺がいろいろ付き合いあったし、彼女もほとんど怪我しなかったから、損害賠償とかはなしにしてもらったけど…。もし、お嬢さんが仕事できなくなったら、莫大な請求来るところだぞ…」
「そうだったか…」
「全く…。俺が買った車を勝手に乗り回して、おまけに浮気して…。結果的に母さんと離婚した半年後には、平気で再婚かよ…。もう、俺や母さんに会いに来ないでくれ」
「…分かったよ。お前だけは、父さんの再婚を喜んでくれると思って、顔を出したんだけどな。残念だ」
「何が残念だよ…」
 ずっと音沙汰なかった父親が、急に来たからと連絡を受けて、戻ってきてみたら再婚報告のためだけに来たというから、呆れてものが言えなかった。そんな2人が帰っていくと、純一は少しほっとした。
「何が再婚だよ…。さんざん、母さんに苦労させて…」
 でも、自分がここにいられるのは、両親が育ててくれたからこそだというのを忘れてはいない。
(直接は言えないけど…。父さん、再婚おめでとう。お幸せに…)
 心の中でだけ、再婚した父親の幸福を祈った。
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