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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 6,すれ違う2人(後編) ●

 翌日の朝になって、純一は宿直室のベッドから起き上がると、気分転換のために外へと出た。気分が全然晴れない彼の心とは違って、雲こそあちこちに浮かんでいるが、快晴のようだ。
「今日は、何もしたくないな…」
 純一は外の空気に当たりながら、近くの自販機で買った缶コーヒーに口をつけると、小さい声でそっと呟いた。昨日の酒が抜けきっていなく、まだ心地悪い。
「あの変な電話は、本当だったのか…??」
 昨日、佐奈たちとお茶していた時にかかってきた不審な電話の事が、妙に引っかかっていた。その電話を受けた当初は、ただのいたずら電話だと思って、全然気にしてはいなかった。
 しかし、その後で目を通した夕刊などが、そのいたずら電話の内容が事実であることを証明していたのだ。でも、あのいたずら電話の主が、どうやってネタ元をつかんだのだろうか。何より、純一の携帯電話の番号は、一部特定の人物にしか教えてはいないはずであり、犯人はどうやって携帯電話の番号を知ったのだろうか…。調べようにも、いたずら電話は非通知設定で掛かってきたため、その犯人を特定することも、逆に掛けなおして、問いただすこともできない。
「何の目的で…??」
 飲み終わったコーヒーの缶をゴミ箱に捨ててくると、一人でぶつぶつ言いながら、事務所の中へと戻っていった。
 それからしばらくたってから、佐奈のマネージャーである田崎が青葉台交通を訪ねてきた。佐奈を迎えに来たついでに、貸切バスの依頼書とロケの企画書を持ってきたのだという。
 応接室で依頼書などを見て、田崎からの説明を受けていた純一だったが、乗り気はしなかった。
 この仕事を引き受ければ、嫌でも佐奈と顔をあわせなければならないし、何より気まずい雰囲気にしてしまい、そのロケに支障をきたすと思ったからだ。
「…この仕事も、私が行かないとだめですか」
「勿論だよ。一度でも出たことのある人間なら、番組のロケとかをうまく進められるしさ」 
「運転手指名されているんですか??」
「正式な指名はされてはいないけどな。でも、担当のプロデューサーとかは、出来れば君に頼みたいようなことを、言ってはいたんだけど」
 書面では来なくても、実質的な運転手指名に近い。普通のロケバスということだけに限れば、何もこの会社に貸切バス運行を依頼する必要などない。しかし、何度も依頼してもらっているため、馴染みがあるといえば、そうかもしれない。
「悪いですけど、その仕事に、俺は行かないですよ」
「どうして??」
「…昨日の夕刊に、答えが載っているはずです。ルナのマネージャーであるあなたなら、百も承知のはずではないですか??」
「…そうだな。あの報道の後だと、気分も悪いだろうし」
「私の代わりになる運転手だったら、後で紹介します。それで納得出来ないようだったら、他のバス会社さんに頼んでください」
「…分かった。でも、君は、ルナが君を裏切って、俳優と付き合うような子だと思っているのか??」 
 それだけ言うと、田崎は帰っていった。彼が持参した貸切バスの依頼書とロケの企画書も、参考に読むわけにはいかないと言って、持って帰ってもらった。
「藤本さん、本当にこれでいいんですか??」
「…とにかく今は、このロケバスの話とかは、一切しないでほしい。それに頼ってばかりというわけにはいかないだろう」
 出勤してきた高橋に聞かれて、純一は少し落ち着いて答えた。
 その中でも、続々と運転手たちが出勤してきて、路線バス運行の支度を整えていた。車両の点検を終えた運転手たちは、事務所で点呼を取ると、それぞれの担当する路線の出発地点へ向けて出庫していった。
 そんな中で純一は、この日は休みの扱いであったが、休日返上する形で事務書類に目を通したりするなど、社長としての職務に従事していた。今、車にでも乗ったら、たとえ運転していても酔ってしまいそうだった。
「社長、今日は帰って休んだほうがいいですよ」
 松本たちが心配していることを知ってはいたが、純一は半ば無理して取り繕っていた。そうでもしなければ、昨日のことを思い出してしまいそうだ。
 夕方になって、残っていた仕事をすべて片付けて帰ろうとしていたとき、バッグに入れていた純一の携帯電話が鳴った。画面を見てみたら、そこに表示されていたのは番号ではなく、『非通知設定』の文字であった。
「またか…」
 電話に出ると、電話口から聞こえてきたのは、佐奈が芸能所属事務所社長の息子と付き合っていると伝えてきた、あの奇妙な声であった。
『昨日の電話、信じてくれたか??』
「誰なんだよ。あんたは」
『…それは言えない』
「それだからか。非通知設定で掛けてくるのは」
『…正真正銘の証拠を見せてやる。青葉温泉郷にある高町ホテルへ行ってみな。そこに止まっているシルバーのスカイラインR35で、2人が出てくるから』
「何っ??」
 電話が切れると、帰り支度を急いで済ませてしまうと、会社を後にした。愛車のR32GT-Rに飛び乗ると、家のほうとは違う場所へ向かってハンドルを切った。
(あんな電話と新聞記事…。でも、それが嘘だと証明するのに、一度だけ騙されてやる!!)
 青葉温泉郷のほぼ中心に、その高町ホテルはある。その道路を挟んで向かい側にある飲食店の駐車場へ入り、直接は見えない場所へと車を止めて、窓際の席に座った。
(本当に、どうしてここに来たのか…)
 そこで夕食を摂りながら、そのホテルの様子を伺っていた。
 店に入って30分あまり経過したころだろうか。ホテルの出入口にシルバーのスカイラインR35がその姿を現した。その運転席には、昨日会見を開いた俳優が座っており、その助手席には髪の長い女性がサングラスを着けて座っていた。その車がホテルを後にする直前に、助手席の女性がサングラスを外したため、その顔が一瞬だけ見えた。
(そんな…)
 スカイラインR35の助手席に座っていたのは、間違いなく佐奈だった。どこか和気藹々としていて、付き合っているという雰囲気が確かにあった。
「…追うのはやめよう。自分が悲しくなるだけだし」
 あの電話の主が言っていた事は本当だった。純一はコーヒーが来るまでの間、つい先ほどまで、佐奈が俳優・桜崎と過ごしていたであろうホテルの建物を見つめていた。
(俺は、いったい何を期待していたんだろう…)
 純一が店を後にしたのは、それから30分後であった。佐奈の乗った車が、ホテルを後にどこへ行ったかなんて知る由もないし、それを知るつもりもなかった。ただひとつ、佐奈には好きな人が別にいる、その事実だけを知った。怒りや悲しみがこみ上げるわけでもなく、ただ空しさだけが残った。

「…それは、辛いな」 
 純一は桜崎プロダクション本社へ向かうため、自分が運転する車の中で、助手席に座る松本に昨日のことを話した。
「…貸切バスの仕事は、俺が代わりに行こうか」
「悪いけど、そうしてくれるか」
 今日になって、田崎から『番組ロケの打ち合わせをするので、桜崎プロダクション本社まで来てほしい』と電話を受けていた。この日は休みになっている高橋から「今日は桜崎プロダクションで打ち合わせに参加します」と電話を受けていた。
 青葉台交通の本社から出かけるまで、純一はずっと行くのを渋っていた。松本が同伴すると言って、何とか打ち合わせに行くように仕向けたのだった。
「ルナさんとは話しづらいよな…」
「とにかく…。俺のことを含めて、無駄な話はしなくていいから。もし、高橋さんが変なことを言ってしまっても、それを認めるような動作は絶対にしないでほしい」
「分かった。他言無用で、事は済ませる」
 一応の貸切バスの書類を持って、2人は桜崎プロダクションの本社内へと入った。
 受付の人に案内されて、打ち合わせが行われている会議室の前へ行くと、そこには受け付ける役目なのか、田崎が立っていた。
「悪かったね。急に呼び出してしまって」
「そりゃ、構いませんけど…」
「DAシスターズの4人がそろって、出演OKになってさ。まさか最後の一人が、青葉台交通の社員さんだったとはね」
「気づかなくても、当然でしょう。いつも一緒に働いている僕らも、分からなかったですからね」
「なるほどな。それで、ロケバスの件は受けてもらえるか??」
「会社としては引き受けますけど、運転手は俺ではなく、ここにいる松本が行きますから」
「そうか…。青葉台交通で受けてくれるなら、運転手も君がやってくれると思っていたんだが…」
「このロケに、わざわざ私が行くこともないでしょう」
「…仕方ないですね。それでは、中へどうぞ」
 田崎がドアを開けると、松本はその後を追うように会議室の中へと入っていった。純一は入室する気もなかったので、松本が入っていったのを見計らってドアを閉めた。
「さて…。俺はどうするかな」
 松本が打ち合わせに出た以上、終わるまで待たなければならないが、この場所に居続けるのも辛かった。とりあえずはプロダクション本社から出て、会社の用事を済ませることにした。貸切バスの依頼が何件かあり、その打ち合わせに行く必要があったからだ。
「松本には、後で連絡すればいいな」
 誰も居ない会議室前の廊下を後に、純一はエレベーターのところまで歩いていくと、エレベーターを呼び出すボタンを押して、目の前にあるエレベーターのドアが開くまで待っていた。
「待って!!」
 どこかの部屋でドアが開け閉めされる音が聞こえたのと同時に、誰かがこっちへと駆け寄ってくるかのような音と声が聞こえてきた。ちょうどエレベーターのドアが開き、駆け寄ってくるのが誰であっても、気にしないで行ってしまおうと思っていた。それに、今の状態を考えれば、駆け寄ってくる相手が誰なのかは見当がついてしまう。
「ちょっと、待ってよ!!」
 後ろから駆け寄ってきた相手に肩をつかまれ、後ろを振り返ると、そこには私服姿のルナがいた。いかにも慌てて駆け寄ってきたらしく、どことなく息遣いも荒い。
「何をそんなに、慌てる必要があるというんだ??」
「…急にロケバスの運転手が代わるなんて、聞いてないよ」
「運転手が代わったからって、問題にはならないでしょ。チャーター代とかは見積もりと同じだし、運転手だけは会社が決めることです。それに、運転手を指名することなんて、あの書類には全然書かれていなかったし…」
「それは、そうだけど…」
「うちに貸切バス依頼を出すのは、運転手に俺が来ることを見込んでいたのは分かる。だけど、俺は今回のロケに関しては出る気はないし、今は仕事面を含めて、あまり話したくない」
「えっ??」
「…この芸能事務所の御曹司と、仲良くやればいいじゃないか。そして、今までのように仕事を回してもらって、芸能界で生きていけばいいじゃないか。もう、プライベートで俺に構わないでほしい」
 彼女が手を離した。閉まりそうになったドアに手をやって開けると、そのまま中へと入っていった。1階のボタンを押すと、エレベーターのドアが閉まった。閉まる間際、ただ力なく立ち尽くして、こっちをじっと見つめる朝風ルナの姿が見えたような気もしたが、純一は全然気にも止めなかった。
(現在の佐奈とは、住む世界が全然違うことなんて、分かっていたはずじゃないか…)
 1階についてエレベーターを降りると、そのままプロダクション本社の建物を出て、自分の車へと乗り込んだ。このまま、彼女と完全に別れてしまうことになったとしても、後悔するなんて出来ない。
「…これで、いいんだ」
 人気アイドル『朝風ルナ』の正体が佐奈だと、ちゃんと分かった日と同じような言葉で、純一は彼女を突き放した。でも、純一の目からは涙は出なかった。
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