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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 5,すれ違う2人(前編) ●

「その記事が嘘であれば、じきにわかるよ。とりあえずはさ、飲もうよ」
 松本と高橋は終業後に純一を誘い出すと、近くにある居酒屋へ行った。純一がその気にはなれないというのは薄々感じてはいたが、少し無理を言って誘った。
「今はさ、佐奈に裏切られたような気分だよ…」
 普段は全然お酒を飲まない純一だったが、最初に頼んで、出てきた中ジョッキのビールを半分ほど、一気飲みしていた。普段では考えられない飲みっぷりだ。
「佐奈が朝風ルナとして活躍していたことは、病院の出来事があるまで知らなかったよ。それまでずっと、中学時の同級生だった佐奈とは別人の、朝風ルナという一人の女性として接していたわけだしさ…。付き合っている人がいるならいると言って、突き放してほしかったよ。世界が違う人間が一緒にいても、どうにもならんのにさ…」
 ジョッキを片手に持ったまま、酔った勢いで話し出した。
「それは、アイドルだもん…。マネージャーさんだって仕事で接しているだけだし、仕事とかを一切関係なく気軽に話せる人がそばにいる事を、誰より望んだんじゃないかな…」
「…そうかもしれないけどな。でも、俺には佐奈が分からなくなっているんだ。本当に、彼女が誰なのかを」
 そこまで言うと、純一はジョッキに入っていた残りのビールを一気に飲み干した。
「今となっては、佐奈が本当に俺のことが好きだったのかさえも、疑わしくてな…」
「そんな…」
「俺だって、本当のことを言えば疑いたくはないよ。でも、あんな記事が出回った以上はな…」
 その時、純一が手にしているバッグの中から、携帯電話の着信音が聞こえてきた。その画面には、『朝風ルナ』と表示されている。
「出ないの??」
「…俺は出る気になれない。悪いけど、代わりに話してくれないか?」
 純一はそういうと、着信音が鳴っている自分の携帯電話を高橋に手渡した。高橋は少し迷った後、通話ボタンを押して、電話を掛けてきた相手である佐奈と話し始めた。その最中は、純一はしゃべろうとすることも、飲むようなこともせずに、高橋が代わりに電話の向こうの相手と話していることに耳を傾けていた。
「何で、純一が話さないんだ??」
「今は、話したくないんだ」
 純一の声には力がなかった。次第に顔が紅潮していて、話し方も少しずつおかしくなっていた。
「…やっぱり、あの記事か??」
「そうだ。もし、あの記事が本当だったとしたら…。別れなければならないだろうから…」 
「えっ??」
 純一の携帯電話で佐奈と話していた高橋までもが驚いて、その携帯電話を手元から落としてしまった。畳の上へと落ちた携帯電話からは、佐奈の声が聞こえてきた。
『えっ?? どうかしたの??』
 高橋は落ちた携帯電話を何とか拾うと、さっきの事を何とかごまして話をすると、電話を切った。
 電話機を純一に返しながら、高橋は恐る恐る聞いた。
「藤本さん…。さっき言っていた事、本気じゃないですよね??」
「…純一、お前… 本当に、そんな事を考えているのか??」
「…本気だよ。もし、あの記事が本当で、佐奈が桜崎とか言う俳優と付き合っているんだったら、その時には… 俺が佐奈から離れていくしかない」
「純一…」
「藤本さん…」
「そのまま芸能界に残って、引き続いて所属事務所から仕事を回してもらっていれば、まだまだ活躍できるだろうしさ…。ファンのみならず、芸能界全体がそう思っているだろう…」
 純一が言う事にも一理あった。青葉台交通の社員の中には、朝風ルナが芸能界に残ってくれることを切に願っているファンがいることを知っているし、純一自身も彼女が無理をして芸能界を引退することを望んでいるわけではない。だけど、佐奈は将来的には純一と同じバス乗務員の仕事に就きたいと言っていたし、そのために大型免許を取ったことも彼女から聞いていたし、告白もされていた。純一自身も、そんな彼女についてきて欲しい、そう思っていた。
「1人の人気アイドルを、たとえ本人が望んでも、うちのような零細バス会社が引き抜くなんて出来ないし、今の彼女はこのまま芸能界に残り、同じ芸能人と結婚するなりしたほうが、ずっと幸せだと思うんだ…」
「…藤本さん。何か、自暴自棄になっていません??」
 高橋の一言が、純一の耳に届いたのかは分からない。
「…佐奈、あの言葉は嘘だったのかよ」
 酒に酔った弱々しい声で、純一がそう呟いたのを、一緒に飲んでいた2人は聞いていた。

 酒に酔って千鳥足になってしまった純一を、松本と高橋は両側から手を貸す形で立ち上がらせると、居酒屋を後に、会社へ戻るのに歩き始めた。既に純一は立ち上がるのもやっとの状態で、後の2人が両側から支えなければ歩けないような状態であった。
「普段はまったく飲まないのに、今日が今日だからね…」
 会社の建物に明かりがついていることに気づき、松本はそっと玄関のドアを開けた。
「松本さん、どこに行っていたんですか??」
「ちょっと、3人で飲みにな…」
「飲みに行ったんですか…。それにしても、社長がなんかすごいことになってますね…」
「普段は飲まない酒を、ガンガン飲んでしまったからだよ。よっぽど、今日のことがショックだったんだろうな…」
 ちょうど、事務所で一人、コーヒーを飲みながらテレビを見ていた高本が、玄関のドアが開いたことに気づいて、駆け寄ってきた。
「…とりあえず、宿直室のベッドで寝かそう」
 3人が協力して、何とか純一を宿直室のベッドに寝かせると、そっと事務所に戻り、テレビの前にある椅子に座った。
「何があったんですか??」
 何の事態か気づいていない高本に、松本と高橋は静かに事情を話し始めた。
「…夕刊の一面にですか。そういえば、なんかすごい記事があったと思いました」
「桜崎プロの社長の息子と、そこに所属するアイドルが熱愛という記事でさ…」
「それに関するニュース、1時間くらい前に見ましたよ。確か、その事務所での記者会見の模様も流れていたような…」
「どっち側の会見だったか分かるか??」
「事務所側でしたよ。その芸能事務所社長と、その息子である俳優の桜崎 敏仁さんが並んで、会見をしたんだ。『私は、歌手でタレントの朝風ルナさんと、およそ2ヶ月前から交際をスタートさせています』とか言っててさ。芸能人同士では一番お似合いだと思っていたから、DAシスターズ当時からファンだった僕には、他人事なんだけど嬉しくてさ…」
「やっぱりな…」
「やっぱりて…。何か、あったんですか??」
 朝風ルナが本当に桜崎プロダクションの社長の息子である俳優と付き合っているとしても、それよりもずっと前から、このバス会社の社長である純一と付き合っているという事を、物事が飲み込めていない高本に話していいものかどうか、2人は悩んでいた。
「…話した方がいいのかな」
「でも、それを話したところで、信じるかどうかも分からないし、周囲にバラされたらどうなる??」
「そうだけど…」
「2人そろって、何を話しているんですか」
「…別に気にしないでいいから」
 高本が不可解そうに首を傾げながら、手洗いのほうへと歩いていった。
「ルナさんが本当の事を言ってくれればいいんだけど…」
「…そうだけどな」
 見る人がいないのについていたテレビを消すと、高橋は酔い覚ましに紅茶を淹れるため、給湯室へと入っていった。松本は手にしていた夕刊を広げて、問題の記事が載っている一面に三度、目を通した。
「これが嘘だったらいいんだけど…」
 少なくとも、熱愛報道の一方の当事者である桜崎が会見をしてしまった以上、誰もが彼と朝風ルナが付き合っていることと思うだろう。
 実際、純一はそう思い込んでしまっているし、疑いが晴れるような気配もまるでしなかった。
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