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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 4,もう一人のメンバー ●

「貸切バス、もう少し台数を増やしたいですね」
「簡単に言うなよ。もう少し、様子を見てから、入れるか入れないか考えるから」
 団体ツアーなどで、貸切バスに関する問い合わせが殺到している、ある日のことであった。青葉台交通では3ヵ月前に、東海電気鉄道が廃車にした大型観光バス3台を買い取って、大幅なリニューアルを行った。まずは、その3台体制での貸切バス営業が始まった。
「多分、新規観光バス会社が増えることになるかもしれないし、路線バスではなく、貸切バスを頼みの綱にしてしまったら、経営が一気に傾くことも考えられるし、ここは慎重にならざるを得ないだろう」
 そう言っている純一ではあったが、実は貸切車をもう少し増車したいという気持ちはあった。現在の3台のうち、1台は幼稚園の送迎専用にしてあるため、貸切車として使用できるのは2台しかないからである。
「2台の貸切車しか出せないなんて、かっこ悪いですよ」
「そうだけどな…。本当は、導入したいんだが…」
 そういう純一の机には、大型観光バスの見積書があった。だいぶ前の休みの日に、神崎バス工業に行って、そのときに一度だけ見た車両に関する見積もりを出してもらっていた。
「同じのが、今だったらちょうど3台ありますよ」
「同型式3台か。すごい魅力的だけどな…」
「早く決めた方がいいですよ。これだけの上物、他の会社が狙っていないわけがありませんから」
 半ば、脅しにも聞こえたセールスを聞いて、それぞれの商談をして、見積書を書いてもらっていたのだ。
「松本。これ、どう思う?」
「ああ、貸切バスの見積もりか…」
 この日は、ちょうど予備運転員として出勤していた松本が通りかかったので、少し呼び止めると、貸切バスの見積もりを見せた。その見積もり書類には、どの車両か分かるように、写真が一緒に止めてあった。
「なかなかいいんだよな。年式もなかなか新しいし」
「そうだな。俺は、買いだと思うけどな。年式があまり経っていないから、今は高そうな値段だけど、普通に考えれば手に入りやすくないか?」
「そうか…。今ある3台もボロだし、いろいろ考えたら買うべきか」
 それから一時間後に、純一は神崎バス工業へと電話をかけた。そして、大型観光バス3台を導入することを仮決定して、取り置きしてもらうことにした。
「明日にでも、買う予定の観光バスを見に行こう」
 とりあえず、何人か一緒に行って、バスを見てから決めようということになった。ここで、純一と松本の独断で決めてしまったら、独裁だといわれかねない。
 とりあえず、導入を予定している大型観光車の見積書をクリップに挟むと、それを黒板に付けた。これから買おうとしているのが、どういう車両かは知ってもらう必要はあると考えたのだ。
 そんな時、純一宛の電話が一本かかってきた。そのとき、事務社員とかは席をはずしていたので、純一が直接電話に出た。
「はい。青葉台交通でございます」
『もしもし。私は、桜崎プロダクションの田崎と申します。藤本さんは、いらっしゃいますか?』
「私ですけど…」
『どうも、失礼しました。急で申し訳ないんですが、桜崎プロダクションの本社まで来ていただけませんか?』
「…えっ?? それは、かまいませんけど…」
 電話が切れると、純一は急ぐかのように、自分の鞄などを手に持った。
「ちょっと、出かけてくる。何かあったら、携帯電話に連絡してくれ」
 ちょうど、貸切車両の見積書を見ていた松本に、それだけ言うと、急いで事務所を出て行った。
「何があったのでしょうか…」
「…分からないな。何か、忘れていた用事でもあったんじゃないかな」
 純一の机に書類を置きに来た高橋が、松本にさっきの事を聞いた。彼も、何を急いでいたのかは全然分からないので、推測で答えるしかなかった。
「すみません。青葉台交通の藤本と申しますが、マネージャーの田崎さんは、どちらにいらっしゃいますか??」
 桜崎プロダクションの本社の中へ入った純一は、受付の人に田崎がいるところを聞いた。
「…事前に、田崎と面会する予約はしてありますか?」
「先ほど、田崎さんからこちらに来るようにと、電話をいただきましたが…」
「…そうですか。今から、お呼び出しします。少々お待ちください」
 受付の人が、田崎に内線電話を掛けている最中、受付に備え付けられたカウンターにあったチラシを一枚、手に取った。
『朝風ルナ ファイナルコンサートU 今度こそ見納め』
(また、さよならコンサートやるのか…)
 そのチラシを一枚、かばんの中に入れると、聞き覚えのある声がした。
「すいません。わざわざ来ていただいて…」
 目の前に現れたのは、桜崎プロダクション本社に純一を呼び出した本人である、田崎だった。
「…ところで、こちらに呼んでいただいた用件というのは何でしょうか?」
「それは、これからお話します。どうぞ、こちらへ」
 田崎に案内されるがままに、プロダクション本社の中を進んでいった。
「実はね。また、特別企画の番組に、出演してもらおうと思ってさ」
「…えっ??」
「ルナが大型免許を取って、自分のバスを持っているのは、純一君だったら分かるよね??」
「…それは、知ってますよ」
「それだったら、話は早いかもしれない」
 何がなんだか分からないまま、田崎に案内されたのは、ある会議室だった。
『ですから…。急に私のバスを出せといっても…。まだ、自分で運転するのも、慣れていないに…』
『そこを頼むよ。もし、君が運転するのに不安だったら、君が知っている運転手さんを頼むから』
 その会議室の中からは、番組製作の関係者らしき人とルナが、なにやら話をしているのが聞こえる。どことなく、攻防戦みたいな状況になっているのが分かる。
「要約すると、DAシスターズの同窓会みたいな企画をやろうかという話になったのはいいんだけどね。そこに、ルナが大型免許を持っていて、個人で大型観光バスを持っているという情報が出たから、こじれ始めているんだよ。プロデューサーが、ルナがその大型観光バスを持ってきて、彼女の運転をお手並み拝見しようという企画を盛り込んだからさ」
「急にそんなことを注文つけたら、彼女だって文句言うのは当然じゃないですか。どこぞやでやっていたドライブ企画とは違って、免許取ったばかりの人が、普通自動車運転するのとは、訳が違うんですよ?」
「そうなんだけどな…」
 純一に少し待つように言って、田崎が会議室の中へと入っていった。
(急に呼び出された、俺はいったい…)
『でも、DAシスターズのメンバー4人のうち、他の2人はまだ、芸能界にいますけど、あと1人はどうやって呼ぶんですか??』
『それは…。でも、何とか探せよ。あの4人グループを再びカメラの前に出せば、誰かとて注目するだろう』
『簡単に言わないでくださいよ。あとの元メンバーだって、いろいろ考えがあるんでしょうし…』
 話している内容を聞くと、番組企画者であるプロデューサーの意見と、出演者の1人であるルナの意見が対立しているようだ。このプロデューサーはなんとしてでも、番組企画の目玉に『DAシスターズ、一度限りの復活』とかを盛り込みたいらしい。中に入っている製作関係者も、なかなか苦慮しているようだ。
『プロデューサー…。そこまで推すなら、私を除く後の3人を、あなたは説得できるんですか?? 1人は、完全な一般人になっているのに…』 
『っというか、あと1人は誰だっけ??』
 DAシスターズ解散後、元メンバーのうち、朝風ルナはそのままソロで歌手活動継続、浅川ミナと音羽レナはそれぞれ改名して、タレント及び女優に転身した。そんな中でただ1人、芸能界を引退した『美倉マナ』の存在を、番組を企画しているプロデューサーが知らないということに、ルナは半ば呆れていた。
『…DAシスターズを推しておいて、メンバー4人を知らないなんて』
『名前知らなくても、仕事はできる。とにかくだな…』
『あと3人の元メンバーが、出演承諾してくれたときには、企画に乗りますけど…。多分、無理じゃないですか??』
『ルナ…。少しは、プロデューサーさんの意見を立ててだな…』
『田崎さん…。DAシスターズの同窓会を企画すると言う人が、名前を知らないなんて、おかしくないですか??』
『話せば分かるだろう。それに、君の言っている美倉マナだって、だいたい所在は掴めているじゃないか…』
『それだけでは、話にならないです。失礼ですけど、席を外させて頂きます。後で電話しますから…』
 プロデューサーとかの声を振り切って、ルナが会議室から出てきた。ちょうど、会議室の壁に貼られていた番組のポスターを見ながら、田崎から呼ばれるのを待っていた純一に気づき、そのまま声を掛けた。
「あら? ここで、どうしたの??」
「いや…何といえばいいのか…。君のマネージャーさんに呼び出されてな」
「…もしかして、この企画のため??」
「多分な」
 どうしようか考えているとき、ルナが純一の手を引いて、そのまま歩き出した。
「…行きましょう。今、この企画で話し合っても、まとまらないから」
「でも、急に出てきて、大丈夫??」
「後で、私が電話すればいいから」
 エレベーターの所まで来ると、彼女は知り合いの誰かに電話を掛けた。
『あら、ルナじゃない…。どうしたの??』
「今、どこにいるの??」
『番組の打ち合わせが終わって、今はプロダクションの玄関だけど??』
「ちょうどよかった。私も今、プロダクションの中にいるのよ。今から帰るんだけど、これから、お茶しない??」
『いいけど…。まさか、誰かを一緒に連れてくるんじゃないでしょうね?』
「…それは、正解かな」
『彼氏とか言ってさ、自慢する気? もしそうだったら、私は帰るよ??』
「異性には異性だけど…。でも、そうじゃないから…」
「連れてくるのが彼氏でも、別にいいけどね。とりあえず、玄関のところで、待ってるから』
 電話が切れてから、エレベーターのボタンを押したので、エレベーターが来るまで、しばらく待った。
「さっき、電話をかけていた人って??」
「同じ芸能界にいる友達。私と同じ元DAシスターズのメンバーで、音羽レナと聞けば分かるかな??」
「CDのジャケットとかで、真ん中くらいに写っているメンバーだっけ…。解散してからも、まだ連絡を取り合っていたんだ」
「でも、美倉マナこと高橋さんには、一般の人としての生活を考えて、連絡とかはしなかったけど…」
「そう…」
 同じ芸能事務所でなくても、同じ業界にいれば、話題とかも通じるから、自然と友達状態の関係は続くことはできるだろう。しかし、一般人に戻ってしまった人の場合はどうだろう。芸能人であったことを誇りに思うのか、それとも…。
「多分、高橋さんは微妙じゃないかな…」
 そういう話をしていたとき、エレベーターのドアが開いた。ルナのほうが先に乗り込み、純一も後を追って乗り込んだ。
「行きましょう。玄関で、音羽レナこと、神本さくらが、玄関で待っているから」
 エレベーターを降り、玄関のほうへ向かって歩いていくと、そこには携帯電話の画面を見ている、一人の女性がいた。
「さくらー!」
 ルナが声を掛けながら、玄関へ向かって駆け寄っていくと、さくらが反応して、手を振ったのが分かった。純一は不意を突かれたようにおいていかれてしまったため、純一も急いで玄関のほうへと走っていった。
「ごめん。待たせちゃって」
「いつものことじゃない。えっと…、そちらの方は、いったい誰??」
「紹介するね。青葉台交通というバス会社の社長さんで、藤本純一さん。私の中学の時の同級生」
「どうも…。はじめまして」
「どうも。あなたのことは、ルナから聞いているわ」
 この時の純一は、少し緊張していた。それは、青葉台交通の社長としてではなく、朝風ルナの彼氏としてでもない。DAシスターズのファンだったときの自分が好きなアイドルたちを目の前にした時と、ほとんど同じような心境であった。
 桜崎プロダクションから、ルナとさくらがよく行くという喫茶店までは、純一のスカイラインに3人で乗って行った。店に入り、空いていた窓際の席に着くと、純一はコーヒーを、ルナとさくらは紅茶を頼んだ。
「やっぱり、藤本さんとルナは付き合ってるの?」
「そうですね。結構、紆余曲折とかもありはしましたけど…」
「2人は仲よさそうだったから、多分そうだとは思っていたけど…。ルナは幸せ者ね」
 さくらとルナが隣りあって、向かいに純一が座るのが普通だろう。だが、何かを察知していたさくらは、ルナと純一を隣り合わせにし、さくらが向かいに座った。
「そういえば、何かDAシスターズ同窓会とかいう番組企画を、九頭とかいうプロデューサーに提案されなかった??」
「ええ。その挙句に、私が持っている大型バスを出してきて、私の運転でロケ地まで行こうとか言ってさ」 
「…随分とすごい注文つけてきたわね」
「そのプロデューサー… 随分、大胆なことを言い出したな」 
「それで、その提案をどうしたの??」
「保留にして、そのまま出てきちゃった…。4人全員そろって、DAシスターズなのに、芸能界に残っている3人の名前は知っていて、後1人を知らないなんて」
「でもね、ルナ…。プロデューサーが後1人の名前を知らないだけで、出てきちゃうのはどうかと思うよ」
 感情的になっていたルナに、さくらは冷静に意見を述べた。
「後1人の名前くらい、ルナが言わなきゃダメよ。私も、メンバーをルナとミナしか覚えてなかったから」
「そんな…」
「でも、本当に4人で再会できるなら、ちゃんと話をしてみたいけど…。美倉マナの連絡先が分からない状態では、無理よね…」 
「その美倉マナさんだったら、OLとして元気に働いていますよ。でも、それはルナさんだって知ってるはずです」
「…マナの居場所、分かるの??」
「知っているの何も…。同じ職場ですから」
 純一は、美倉マナという名のアイドルとして芸能界にいた高橋のことを、話そうかどうかを迷っていた。もし、メンバー同士が不仲になって解散していたのであれば、高橋としても会いたくはないかもしれなかった。でも、本当に『会いたい』と思っているなら、教えてあげてもいいのではないかと、純一は高橋のことを話した。
「会わせるのに段取りを作ってもいいですけど、マナさんが会いたくないといったら、それまでですからね…」
 純一はいったん席を立つと、普通は席が空くのを待つであろうスペースに行き、そこにあったいすに座ると携帯電話で会社へと電話を掛けた。
『そんな急に…』
「そこを、何とか頼むよ…」
『分かりました。備品を買いに出るついでに、行きますよ…』
「急なことで悪いね」
 電話の向こうで、高橋は急な呼び出しに戸惑っていた。それを何とか純一は説得して、ここの喫茶店まで出て来てもらえることになった。
 それからしばらく経って、見覚えのある軽自動車が店の駐車場へと入ってくるのに気づいた。その軽自動車の運転手も、純一の車に気づいたらしく、隣に空いていたスペースへと、車を止めた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「いえ、連れが中にいますから」
「高橋さん、急に呼び出して悪かったね」
「軽々と平気で呼び出さないでくださいよ…。まだ休憩時間でも、終業時間でもないのに」
「それは悪かった。実はさ、会わせたい人がいるから、来てもらったんだけどさ」  
「誰ですか??」
「見れば分かるよ。懐かしい面子じゃないかな」
 純一は立ち上がって、高橋を2人が待つ席まで連れて行った。
「あっ…」
「気づいた?」
 2人が待つ席まで行くと、何やらしゃべっていた。どうやら、芸能界でのことらしい。
「お2人さん、ゲストが来たよ」
「…マナ。本当に、久しぶりだね」
「あっ…。レナだ。こちらこそ、久しぶり」
「元気だった??」
「おかげさまでね。そっちこそ、元気だった??」
「ええ。DAシスターズが解散する前だったら、ほぼ毎日、顔を合わせていたのにね」
 3人の久しぶりの再会とあって、少しなごみがかった雰囲気になっていた。彼女らがアイドルグループ『DAシスターズ』として活躍していたときを知っている純一だが、高橋がここに来るまでの間、グループが解散した当時に流れていた噂が本当ではないかと気にしていた。
 もし、それが本当で、メンバーの不仲が原因で解散したならば、無理をしてまで高橋をこの場所に来てもらわなくてもよかったのではないかと思っていた。でも、見た感じでは、そんなに仲の悪さは感じられなかった。
「ほうほう。今は青葉台交通というバス会社で事務やってるのか。しかも役員になっているとは、すごいね」
「役員と言っても、名前だけよ。他の従業員のほとんどは、東海電気鉄道の営業所だった時代からの人がほとんどなんだから」
 純一が3人の会話を聞きながらコーヒーを飲んで一息つけていたとき、携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし?」
『あなたは知っているか?? 朝風ルナと、桜崎プロダクションの御曹司が付き合っているという噂…』
「何だよ、それ?」
 電話の向こうで、掛けてきたであろう人物が笑っているであろう不気味な声が聞こえてくる。
「たちの悪い冗談はやめなさい!!」
 純一は電話の向こうでほくそ笑んでいるであろう人物に怒鳴ると、そのまま電話を切ってしまった。その後すぐに電話がかかってきたが、今度は会社の番号であったために電話へ出た。
「はい、もしもし?」
『純一、今、どこにいるんだ??』
「桜崎プロダクション近くの喫茶店だよ。ルナさんや高橋さんと一緒にいる」
『そうか。それでさ、純一。変な噂を聞かなかったか??』
「変な噂??」
『朝風ルナさんが、所属事務所の御曹司と付き合っているとか言う噂さ。さっきテレビ見ていたら、そんなニュースが流れていたからさ』
「…本人が目の前にいるのに、そんな嘘か本当か分からないような事を言うなよ」
『…その話はついでだったんだ。これからが本題なんだが、さっき、高倉という人から電話があってさ、例のバスの買い手が付いてしまいそうなんだってさ。だから、頭金だけでも支払って商談して欲しいんだってさ』
「分かった。今から、急いで戻るから。出られる準備だけしておいてな」
 それだけ言って電話を切ると、残っていたコーヒーを全て飲み干した。既に冷えてぬるかったので、一気に飲んでもむせるようなこともなかった。
「高橋さん、呼び出しておいて悪いんだけど、後で、彼女らをプロダクションの本社まで送って行ってくれないか」
「えっ? 急に、どうしたんですか??」
「急な用事が出来てしまってさ。プロダクションまでの道だったら、分かるでしょ??」
「そりゃ…、分かりますけど」
「悪いけど、頼むわ」
 純一はそういうと、3人が頼んだ紅茶の代金などが書かれた紙を持って立ち上がった。
「皆さんは、ごゆっくりそうぞ」
 レジへ行って会計を済ませると、自分のスカイラインを飛ばして、青葉台交通の本社へと戻っていった。
 青葉台交通の本社まで戻り、事務所の中へと入っていくと、中では既に松本が書類などを揃えて、すぐにでも行けるように準備を整えてあった。
「高橋さんは??」
「かつての仲間と意気投合して、話が盛り上がっていたみたいだから、俺だけ出てきた。彼女は車で行っているわけだし、ルナさんたちをプロダクションまで送っていくことも出来るだろう」
「なるほど」
「とりあえず、支度は整えてあるな??」
「一応はな。急いで市役所まで行って、書類とかは全部揃えといた」 
「さっさと商談まとめて来よう。他の人に買われてしまったら、面白くないし」
 純一と松本は会社を出ると、書類などを持って急いで車に乗り込み、神崎バス工業の工場へと向かった。
「そういえば、今日の夕刊か何か見ました??」
「…何も見ていないな」
「一面に大きく、芸能スキャンダルの記事が出ていてな。それが朝風ルナと桜崎プロダクションの御曹司である俳優の熱愛報道だったものでさ」
「…それ、本当かよ」
 それが冗談であって欲しいと、純一は心から願っていた。松本が今まで純一に対してついた嘘は、ほとんどが悪戯心から出てきた軽い嘘だった。松本が言っているスキャンダルも、きっと即効で仕立てた嘘話であるはずだと、心から思っていた。
 しかしながら、そのスキャンダルが本当である可能性は全然否定できなかった。その相手とされている、桜崎プロダクションの社長の息子である俳優『桜崎 敏仁』は確かに実力がある人気者であると言うのを、何かしらで聞いたことはある。その男が佐奈と接するチャンスは、同じ芸能界である事や、所属する芸能事務所が一緒である以上、純一よりも全然多いのは明らかだった。
(本当だったらどうしよう…)
「本当だよ。一応、ここに、その夕刊を持っている」
 信号で車を止めると、松本が手にしていた夕刊を強引に奪い取って、記事の一面に目をやった。記事の中心には写真が載せられており、どこぞやのレストランの中から出てきた2人が写されていた。そのうちの女性のほうは、サングラスを掛けるなどして、明らかにごまかそうとしているが、佐奈であることは明らかだった。
(なんて事だよ…)
 信号が青になった事にも気づかなかったため、後ろの車からクラクションを何度も鳴らされて、ようやく信号に気づいて再び走り出した。
「…純一」
 松本が純一のほうを向くと、彼はハンドルを握りながら、何一つ口を聞こうとはしなかった。既に、心ここにあらず、と言った感じであった。
 神崎バス工業の工場に着いてからも、純一はなかなか降りようとはしないので、松本は何とか降りるように促した。
「早く行って、商談を済ましてこようぜ」
「…悪い。お前が社長代理で商談してくれ」
「お前な…。ちゃんと社長が行って、商談しなければだめだろうよ」
 松本がそれを言う前に、純一は車のエンジンを止めて、シートを後ろに倒してしまった。車の外へ出る意思はどうもないらしい。
「…頼むから、冗談はよしてくれよ」
 ついに松本は、純一に直接商談してもらう事を諦め、自分が書類などを持つと、商談をするために事務所の中へと入った。
 商談を終えて、青葉台交通の本社まで帰る道は、松本が代わりに純一の車を運転した。路線バスのマニュアルは慣れているが、普段通勤用に乗っている車がオートマチックの普通車であるため、マニュアルである純一のスカイラインを乗りこなすのには少し時間がかかった。運転している最中、助手席に座る純一を見ると、やはり心ここにあらずといった状態で、何をすることなく、助手席の窓から外の景色を眺めるだけであった。
(たったひとつの事だけで、そんなに参ってしまうのか??)
 あの新聞記事のことがよほどショックだったようだ。会社に戻ってきてからも、純一は自分の席に座り、何かに目を通しては、ただボーっとしているのだ。
 夕方になって、高橋が少し陽気な感じになって戻ってきた。
「久しぶりにアイドル時代の仲間と会ったら、話が弾んじゃってね」
「そりゃ、よかった。でもな…」
「そういえば、社長…。どうかしたの??」
「神崎バス工業に商談に行く途中から、ずっとあんな感じなんだ」
「えっ?? 喫茶店にいた時、いつもと同じように明るかったですよ??」
「確かに、喫茶店から戻ってきたときは、いつもの調子だったんだ。だけどな、車の中で今日の夕刊を見た途端に、何か落ち込んだみたいでさ…」
 松本はちょうど純一の机に放ってあった夕刊を手に取り、高橋に一面の記事を見せた。
「…何よ、この記事」
「俺も、この記事を読んだときには、何がなんだか分からなかったよ。純一にとってルナさんは身近な人だし、しかも結婚目前にまで来ていた相手だ。もし嘘であったとしても、こんな記事が出たら、誰だって、疑いたくもなるよ。しかも、この記事を見る少し前まで一緒にいたんだし、一気にショックが来てしまったんじゃないかな」
「そうみたいね…」
 松本と高橋は、それぞれの仕事を片付けながら、デスクに座って書類とかには目を通しながらも、放心状態である純一を心配した。この日ばかりは、いつも一生懸命になって、仕事に専念する社長・藤本純一が失恋でもしたかのように落ち込み、仕事が手につかない状態であった。
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