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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 3,異種こもごも ●

 翌日、純一は仕事を終えて退勤すると、事務所の前で大きく背伸びをした。壊れた高橋の車に関しては、高橋が出勤してきた後、修理工場の人が来て、彼女の同意を得た上で、修理するのに工場へ持って行った。そのため、代車として工場が手配した軽自動車が、駐車場に止められている。ただ、彼女はその車のデザインが気に入らないらしく、なにやら文句を言っていた。
「あんなのが代車だなんて…」
「そう、文句言うなよ。いつもの車が、修理から帰ってくるまでだから」
 何とか彼女を宥めるのに、すこし時間がかかってしまった。
 とりあえず、夜中を挟んだ勤務はこれで終わり。ここのところ、手入れとかをしていなかった自分のバス(元東海電気鉄道2433号車)の手入れをして、悠々と運転を楽しもうと思っていた。
(あっ…そうか。佐奈の用事があったんだった)
 自分の携帯電話から、佐奈へと電話をかけた。昨日、彼女が突然、事務所を訪れたときに、明日は仕事オフだというのを聞いていたからだ。
「今、仕事が終わったよ。それでさ、そのバスはいつ取りに行く??」
「どうしようかな…。この時間は、車とか結構多いんでしょうし…」
「そうだな…。でも、早めに行ったほうがよくないか?」
「…そうだね」 
「でも、工場からバスを持ってくるのに、運転してくる自信はある?」
「まだ、自信が無いな…」
「今回は、俺が運転すればいいかな?」
電話を切った後、純一は本社前を通るバス停の時刻を確認した。
(…工場を通るバスって、あったかな)
 近くにバス停があれば、そこまでバスに乗ったほうがいいと考えていた。そこまで車に乗って行ったら、今度はその車を誰かに乗ってきてもらわなければならないし、なかなか悩める。
(どうしようかな…)
 考えた挙句、向こうからのことを考えて、工場までバスで行くことにした。
「とりあえず、向こうまではバスが通っているみたいだから、バスで行こう。20分くらい後に、駅へ行くやつが来るから、それに乗ればいいでしょう」
 佐奈に電話をかけた後、そのままバスが来るのを待っていると、バス停に向かって誰かが走ってくるような音が聞こえた。その方を見ると、帽子とメガネで顔を隠した佐奈が現れた。
「いつもだったら、路線バスに乗って移動することも無いでしょ?」
「まあね。それに、いくら顔を隠して乗っても、勘がいいファンだったら見破られるかもしれないし…」
「そうか。でも、この時間だったら、あまりファンとかも乗らないよ。多分」
 そんなことを話しているうちに、青葉台バスターミナル行のバスがやってきた。
「自分の会社のバスに、乗客として乗ることってあった?」
「…あまり無い。仕事以外だったら、たいがい車で移動していたしさ」
「青葉台交通になってからは、初めてじゃない? それも、社長としてさ」
「そうだな。いやというほど、運転手としては乗っているけどな」
 バスに乗り込むと、2人がけの座席に座った。車内は、空いている座席が転々としているだけで、ほとんどの座席が埋まっている。ほとんどの乗客は、終点となるバスターミナルから少し歩いて、駅から電車とかに乗り換えるのだろうか。
「ありがとうございまし… って、社長じゃないですか」
 運賃を払って下車するとき、ここまで乗ってきたバスの運転手に呼び止められた。一応のことを考えて、他の乗客が降りてしまうのを待って、最後に降りることにしていた。他の客が降りてから席を立ったので、さすがに気づいたのだろう。
「珍しいですね。社長が、女の子を連れてバスに乗るなんて」
「まあな。今から車を取りに行くものだから、いつもの車ではなくて、バスに乗ったんだよ」
 乗務していたのは、朝風ルナの筋金入りのファンとして、東海電気鉄道時代からも有名である北沢だった。それを象徴するかのように、ファングッズのひとつであるネクタイピンをつけていた。
「料金は2人分な」
「はい。お二人とも、お気をつけて」
 純一と佐奈が降りると、バスは待合所へと引き上げていった。発足当初は、東海電気鉄道のバス待合所に間借りする形で青葉台交通のバスを待機させていたため、少し気が重いというのを聞いたことがあった。しかし、駅から少し離れた場所に専用のバスセンターを設けることが出来たため、現在は気楽にバスを止めて休憩が出来るという。
「さっきの運転手が、ルナの大ファンと言っている北沢。コンサートの開催が決まって、チケットが発売される前日から売り場に並んで、チケットを取ってたりしてさ」
「そうなの。でも… 私に気づかなかったのかな」
「…どうかな」
 2人が神崎駅のバス乗り場まで歩き、そこで神崎バス工業の方へ行くバスを待っていたとき、純一には見慣れた白いワンボックスカーが、駅のバスのりばに入ってきた。
「こりゃ、救いの神が現れたな」
 2人の前にワンボックスカーが止まり、助手席の窓が開くと、その運転手である高倉が顔を出した。
「すれ違ったバスに、何か見慣れた顔が見えたからさ」
「ちょうどよかった。これから工場に行くつもりでいたんだけどさ。乗せて行ってくれよ」
「いいよ。元々から、そのつもりだったから」
 2人は、そのままワンボックスカーの後部座席に乗り込んだ。
「すみません」
「どうぞ。少し乗り辛いかもしれませんけど」
 車が青葉台駅を後に、神埼バス工業の工場まで走り出すと、佐奈は身に着けていたサングラスと帽子を取った。
「本当に、朝風ルナだ…。まさか、あの人気アイドルが、本当に大型バスを買うとは…」
「商談する時に、顔を見たんじゃない?」
 運転する高倉が、バックミラー越しに佐奈を見て、驚きの顔をした。
「別の担当者が商談したから、俺は全然顔を見ていなかった。その時、俺は2433号の最終点検していたしさ」
「そうか。でも、若い女の子が大型観光バスを買ったというのを聞いて、驚かなかったか?」
「俺は、そうでもないな。大型トラックのハンドルを握っているのが女の人だったりするだろう。でも、今回のは驚いたね。買ったのが朝風ルナだったというのは」
「そうですか。でも、アイドルの私が、大型免許を取って、バスを買うなんておかしいでしょ」
 佐奈が、少し思い悩んでいたことを口にした。それは、大型免許を取りに、教習所へ行き始めたときから、今までずっと悩んでいたことだった。
「世間は、たぶんおかしいと言うでしょうけど…。でも、人に指図されて決めるだけの人生は面白く無いじゃないですか。どの車を選ぶとかも、人の自由なんですし」
「…そうですよね」
 そうこうしているうちに、車は神崎バス工業の工場へと着いた。門をくぐってすぐのところにある駐車場には、綺麗に手入れされた大型観光バスが鎮座していた。そのフロントガラスには『石川様 売約済』と書かれた札がかかっている。
「これが、佐奈の車になるのか…」
「ものすごく綺麗に仕上がっていて、いいですね」
「どうも。前の観光バス会社から引き取ってきた時の、あのみずぼらしい姿のときに、よく商談してくれましたね」
「一目見たら、それで気に入っちゃいまして。もうすぐ大型免許が取れるし、運転できるかなと思って」
 一度だけみて、商談をしてしまうとは。純一はさすがに驚いた。
「決めるのが早いね。中学2年の時と同じ」 
「くよくよ考えていたら、せっかくのチャンスを逃してしまうじゃないの。私は、それが嫌だったから」
「なるほどね…」
 そういう思いきりの早さは、中学時に同級生だった頃から、純一はよく知っていた。

 中学2年の時だろうか。学校の文化祭で、ステージに出演する人を募っていた時、佐奈は親友である相澤愛美と三神由美子と自分の3人でバンドを組み、ステージに参加しようと話をした。
 最初からやる気のあった佐奈はともかく、愛美と由美子は、最初は難色を示した。第一に、バンドとはいっても、まずは何をすればいいのかがまったく分からない、そこから問題だった。
「バンドは無理でも…。何か、女性3人くらいのグループの曲を歌えば、何とかなるんじゃない?」
「…いくらなんでも、急には無理だよ」
「それは承知だけど…。初めから無理だというのは、面白くないじゃない」
 その一声で、彼女ら3人は即効で歌を覚えて、文化祭のステージに出たのである。

「そして、3年の時に、今度はバンドで出演したんだっけ」
「そう。今度は三神さんが提案してね。あの時も、揉めたわね…」
 中学3年の時には、今度はバンドとしてステージに出ようという話になった。
 しかし、愛美は体調不良を理由に、話から降りてしまった。その代わりとして、純一がバンドメンバーに加わっていた。
「三神さんが、バンドを辞めたいって言った時、何とか慰留するように、三神さんを説得してたね」
「…あの時は、あの時よ」
「あの…。そこで、中学時の思い出話をしなくても…」
「ごめん…。ついつい、話に華が咲いてしまってさ…」
 事務所から別の人が呼びに来ているのを忘れて、中学時代の話をしてしまっていた。
 そのうちに、営業の人が呼びに来て、佐奈は事務所へ入って行った。
「全く…。アイドルとバス運転手という、異色コラボで」
「悪かったよ。でも、中学時代のつながりでもなければ、普通はアイドルとなんて仲良くないよ」
「何を言うか。だいぶ前の番組では、手つないで共演したくせに」
「…そうだったな」
「でもさ…。今の2人を見てると、ものすごくお似合いだなって、つくづく思うわけよ」
 高倉が缶コーヒーを投げてきたのを、純一は見事にキャッチした。2人は、工場の門の向こう、道路を行き交う車とかを見ながら、缶コーヒーを飲んでいた。
「でも、考えれば、本当に不思議なめぐり合わせだよな」
「それでいいじゃないか。でも、絶対に朝風ルナを泣かせるなよ」
「分かっているよ」
「もし、泣かせでもしたら…。その時には、俺が力づくで奪い取ってやるから」
「それは勘弁してくれ。でも、彼女のファン全員を敵に回すだろうしな」
「分かれば、それでいいんだよ。でも、佐奈さんを幸せに出来るのは、純一だけだからな」
「分かっているよ。十分…」
 朝風ルナ…もとい、石川佐奈を幸せに出来るのは、純一だけというのは、本人が一番分かっている。しかし、その事実が、純一に重たくのしかかる。
「お待たせ。これで、購入成立」
「すごい、大きな買い物だよな。普通の自動車ではなく、大型バスだし…」
「どうする? 俺が機械の説明とかをしたほうがいいか?」
「そうしてくれれば、ありがたいかな」
 2人は、高倉から大型観光バスの運転機器などの一通りの説明を受けた。聞くのは、オーナーとなる佐奈だけでよかったのだが、純一も何となく気になって、一緒に説明を聞いた。
「この辺で、もう少し広い空き地とか無いか?」
「俺は知らないな。でも、どこかで佐奈さんが運転に慣れないといけないんだろうし…」
「…とりあえず、今回は俺が、車庫までは運転して、後は付き添って練習すればいいか」
「そうしたほうがいいな。じゃ俺は、これで仕事に戻るから」
 高倉は慌てたように、工場の中へと入っていってしまった。
「とりあえず、帰ろうか」
「そうね。私も、これから用事があるから」
 神崎バス工業の工場から、彼女が指定した車庫まで、純一が運転した。当の彼女はというと、ドアのところにあるガイド席に座って、前面展望を楽しんでいた。
「これからゆっくりと、このバスに慣れればいいさ」
「…その時には、ちゃんと教えてね」
「分かった」
 佐奈のバスを車庫に収めて、2人は別れた。
 純一はこの後、あまり手を入れていなかった自分のバス(旧2433号車)を手入れし、久しぶりに運転した。
「今、仕事で乗っているやつと比べると、やっぱり違和感あるな…」 
 路線バスの運転手になって何年か、ずっと乗務した路線バスを、今はプライベートで乗っている。とりあえず、廃車となった別のバスから外した運賃箱などを取り付けて(動かないようにしてあるため、ただの飾り物)、現在つけているナンバープレートが白ナンバーである以外は、ほぼ現役時代の状態に戻していた。
(なぜ、彼女は芸能界から飛び出して、このバス業界の人間になろうとしているのだろうか…)
 純一は、自分の愛車であるバスのハンドルを握りながら、ずっと考えていた。
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