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● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 15,心 ●

「こんなところにまで連れてきて、何したいの??」 
「あの場所では、盗み聞きされても困ると思ってさ」  
 桜崎は自分の車に佐奈を乗せると、行き先も告げないまま、月風展望台まで連れてきていた。
「盗み聞きされたくないなら、他にも場所はあったはずでしょ」
「…邪魔者が来られても、困るしね」
 展望台の駐車場に止めた車の中で、ハンドルを握りながら不敵な笑みを浮かべる桜崎に、佐奈は一種の恐怖さえ抱いていた。
(どうしよう…逃げられない…)
「それで、話したい事って何??」
「それは、君だって十分分かっているはずじゃないか。それに、君が今、どんな状況に置かれているか、分かるな??」
「…言っておくけど、私は桜崎さんに恋心とか、そういうのはないって、前に、そう言ったはずでしょ??」
「ああ。それは確かに聞いた。だけどな、俺は諦めが悪い男でね…」
「とにかく、何と言われても、私は桜崎さんとは付き合えないから。もう、私に近づかないで」
 佐奈はそれだけ言うと、車の外へと出た。
(逃げなければ…。とにかく、ここから逃げなきゃ…)
 携帯電話で助けを呼びつつ、彼女は何とかその場から離れようとした。
 背後で聞こえるエンジン音、それはゆっくりと佐奈を追うかのように近づいてきた。
(…誰か、助けて!)
 坂の途中まで降りてきていた時、坂を登ってきた一台の車が、彼女に気づくと、そのまま止まった。
(…えっ??)
「こっちの方まで、来ていたのか…」
「純一君…」
「何とか、間に合ってよかった」
 その車の主は純一だった。
「高橋さんから、電話で聞いた。それから、コンサートホールまで戻る最中にすれ違った車が何か怪しくて、また引き返してこっちまできた」
「…追われてるの。助けて」
「そうだと思った。とりあえず、車の中に隠れてて」
 彼女が助手席のドアを開けて中へ入った直後、後を追うように降りてきたであろう桜崎の車が、ライトを眩しく照らしながら近づいてくると、純一の車の前まで来て止まった。  
「…結局は、ナイトの登場てわけか」
 車から出てきた彼は、その不気味な笑みを浮かべて、こっちを見ていた。
「こんな所で、テレビに出ている有名俳優が、アイドル追っかけて、どうするつもりだ」
「そんな事、お前が知る必要はない。とにかく、お前の車の中にいる、彼女を出してもらおうか」
「残念ながら、それは出来ない。俺にとって、彼女は大切な存在なんでね」
「そうか…。朝風ルナと交際している一般人のことは聞いていたが、それはやはり、お前の事だったのか」
「何処から聞いた話か知らんが、それは確かに俺だよ。ところで、あの電話をかけてきたのは、お前か!?」
「その通りだよ。お前さえ、ルナから離れてくれれば、彼女が俺に振り向いてくれると思っていたしな。それも無駄にはなったが…。さて、無駄話は終わりだ。彼女を出してもらおうか??」
「言ったはずだ。それは出来ない用件だ」
「仕方ない。ならば…力ずくでも連れ出してやる!!」
 桜崎が殴りかかってくると、純一はそれを一旦避けた。
「…無駄だ。お前に、俺を殴ることは出来ない」
「何故だ?」
「俺が、芸能事務所社長の息子だと言うのを、知らないとは言わせない。俺の声ひとつで、お前を訴えることも出来るんだぞ」
「…そんなの、百も承知だ。だからといって、一方的な愛を無理に通すことが、出来ると思うのか!?」
 それを知ってか知らずか、純一は桜崎の攻撃をかわした後に反撃し、ついに純一のパンチが桜崎に命中した。
「くっ…」
「そんな歪んだ気持ちが、彼女に通じるとでも思うのか」
「ちっ…」
「お前には絶対、朝風ルナに手出しはさせない。もし、本気で奪うつもりなら、かかって来い!!」
 桜崎が再び、純一に殴りかかろうとしていた。
「そう言われたら、こっちだって力づくだ!」
「待って!!」
 急に車のドアの開く音が聞こえ、気づいたときには純一の手を佐奈が抑えていた。
「私のせいで、殴りあうような事はしないで」
 佐奈が純一の手を離すと、桜崎の方へと歩いていった。その彼女の手は少し震えているような気が、純一にはした。
「自ら出てきてくれるとは、手間が省けたな」
「…やっぱり、あなたのせいだったのね」
「そうさ。それがどうしたんだ?? 2人の愛を邪魔するやつを離れさせるチャンスだったのにな」
「何がチャンスよ。私が本当に好きだったら、何で正々堂々と奪いに来ないの??」
「何だと??」
「最低よ。そんな手段使うなんて!!」
 その言葉とともに、佐奈は桜崎に向かって平手打ちした。
 桜崎は叩かれた頬を押さえながら、すっと彼女の方を睨みつけた。
「そんな事しないで、堂々と告白してほしかった」
 佐奈が放ったその言葉は、少し寂しそうにも聞こえた。
「…こんな事だったら、ルナさんが相談に来たときにでも、告白すればよかったな…」
「ごめんなさい。殴ったりなんかして…」
「本当に、『君の事が好きだ』って一言が、あと一歩で出ない。こんな後悔するなら、初めから言って、結果がだめの方が、まだ潔く諦められたかもしれない」
 桜崎が、佐奈と純一のほうに背を向けて、自身の車へと乗り込もうとした。
「ちゃんと思い返すと、頬と心が痛いな…」
 殴られた頬を押さえながら、彼は自身の車のドアへと、手をかけた。
「桜崎…」
「藤本さん。どうやら、あんたとルナさんの間には、俺は踏み込むことは出来なかったみたいだ。なぜ、彼女が芸能界をやめてまで、あんたについていこうと決めたわけも、分かる気がする」
「…桜崎、それで、本当に未練は無いのか??」
「それは、あるさ…。でも、仕方ないだろう。こう、きっぱりと振られてしまうとさ。最後のあがきをする事も出来ないさ」
「桜崎さん…」
「さよなら、朝風ルナ。君は、俺にとって、唯一無二の、天使だったよ…」 
 彼は車へと乗り込むと、そのまま走り去っていった。
「…行こう。まだ、コンサートの打ち上げの途中なの」
「分かった」
 呆気にとられて、その場に2人は立ち尽くしていたが、佐奈が純一の手を引き、コンサートホールへと戻ってくれるように言った事で、ようやく動く気になった。

「なぜ、電話の事を、他の人たちに話さなかったの??」
 コンサートホールに戻る車の中、純一はハンドルを握りながら、助手席に座る佐奈に尋ねた。
「私だけで、何とかなる問題だと思ったからだよ…」
「あの状況下で、どうやって桜崎から逃げる気だったんだ。下手したら、殺されるかもしれなかったのに…」
「そんな、大げさだよ…」
「それがありえるからだよ。あの時の桜崎は、常軌を逸しているかのように、俺には見えた」
「でも、私の問題だからさ…」
 佐奈が俯き加減になりながら、そっと話し始めた。
「まだ、彼が私のことを諦めていないのは、分かってた。だから、芸能界から去る前に、朝風ルナとしての問題は、何とか自分で解決して、何も問題を残さないで、一般の人に戻りたかったの」  
「そうか…」
 彼女の気持ちは分からなくもなかった。些細な事一つでも、やり残すと、確かにすっきりな終わり方は出来ない。
 しかしながら、桜崎との問題は終わったと、だいぶ前に彼女は言っていたはずだし、相手である桜崎本人も、会見とかではっきりさせているはずだと思っていた。もしかしたら、彼女は今でも、彼の方が好きなのではないかと、純一は疑問に思っていた。
「一つだけ、聞いていい?」
「なに?」
「…今でも、桜崎のことが好きなのか??」
「今は全然、そんな気持ちは無いよ」
「だったら、何で…。その人の車に乗ったんだ??」
「断れなかったのよ…。下手に断ったら、何されるか分からなかったし…」
「…あの時に解決していなかったんだったら、何で話してくれなかったんだ。俺には話しづらくても、高橋さんとか、相談できる相手もいっぱいいるだろう??」
「…誰にも心配かけたくなかったから」
「やっぱり、最後の最後には、自分だけで抱え込むのか…」
「そうするしか、考えられなかったの…」
(…俺が思っているほど、佐奈は自分を必要とはしていないのか??)
 赤信号で車を止めたとき、純一の携帯電話が鳴っている事に気づいて、画面を見てみると、そこには『高橋香織』の名前が表示されていた。
 電話に出て、佐奈の無事と、コンサート会場へ戻る事を伝えた。
『それで、佐奈さんは怪我とかはないんですね??』
「見た所は無傷だよ。とりあえず、今はそっちへ向かっているから」
 信号が青になり、再び走り出したときに、携帯電話を佐奈に手渡した。その時に、改めて彼女の服装が、私服とかそういうのではなく、ステージ衣装を身にまとったままでいることに驚いた。
(最初から、桜崎の車に乗る気はなかったんだろうな…)
「誰から??」
「高橋さんから。ちゃんと、この事は自分で言わないと」
 彼女が携帯電話を受け取ると、その電話の向こうにいる高橋と話し始めた。
 通話が終わったらしく、佐奈が携帯電話を純一に返すと、「どうして、月風展望台まで来ていたのが分かったの?」
「…何となくだよ。ただ、その場所にいる気がしただけ」
 確証があったとはいえ、純一自身は、本当に彼女がそこにいるとは思ってはいなかった。
「…でも、佐奈が怪我とかしてなくてよかった」
「ごめんね。わざわざコンサートに来てくれた足で、私が招いたトラブルに巻き込んで…」 
「いいよ。それくらい…」
 佐奈をコンサートホールへ送り届けると、純一は「早朝の仕事があるから」と言って、コンサートホールを後にした。
 彼女には「せっかくなんだから、打ち上げに顔出して行ってよ」と誘われたが、さすがに場違いだと思い、その誘いは断った。

 途中にあるラーメン屋で遅い夕食を食べ、自分の部屋へ帰って来たときには、純一はすっかり疲れていた。
 何しろ、高村が路線バス運行中に当て逃げされて運行出来なくなった代わりに、路線バスの運行をしなければならなくなり、一時はコンサートへ行く事を諦めた。しかし、幼稚園の送迎の仕事が終わって戻ってきた青島が、途中で代わってくれたおかげで、開演には間に合わなかったものの、何とかコンサートへ行く事ができた。その後に、佐奈が突然コンサートホールからいなくなる騒動が起き、彼女を探し出して、コンサートホールへ連れて帰って、ひと段落した。
「…本当に、今日は慌しかったな」
 眠りに就こうとした時、コートに入れたままの携帯電話が鳴った気がしたが、それより前に眠りたかった純一は、そのまま無視して眠ってしまった。しかし、その1時間後には目を覚ましてしまった。眠たいのに、なぜか眠れず、布団をかぶって目をつぶっても、すぐに目が覚めてしまう。
「…何で、眠れないんだろうな」
ふと、携帯電話のことが気になり、布団から起き上がると、コートの中から携帯電話を取り出した。 その画面を見てみると、『不在着信01』と出ている。その発信主が誰か見てみると、それはやはり佐奈だった。
「何だろう…」
 彼女に電話を掛けようとしたとき、携帯電話が鳴った。
「もしもし??」
『まだ、起きてたんだ。電話に出てくれないから、もう寝てるかと思ったよ』
「…寝てたんだけどな。どうも眠れずで、1時間後に目が覚めてしまったんだ」
 電話の主は佐奈だった。さっき、自分から電話を掛けようと思っていたのだが、その相手からタイミングよくかかってくるとは。
「それで…。どうしたの??」
『今夜、どうしても会って、話したい事があるの』
「…えっ??」
『1時間後くらいにコンサートホールの前で、純一君が来てくれるのを、待ってるから…』 
「…分かったよ。今から、そっちに行くから」
 電話が切れると、純一は外に出ても恥ずかしくない程度の私服に急いで着替え、再び愛車の鍵を手に取った。
「…ちゃんと話そう。自分の気持ちを」
 車に乗り込む寸前、純一は慌てたように部屋の中へ戻ると、机の上に置いたままだった紫色の小さい箱を手に取り、ポケットにしまった。
 
「夜の海岸てさ、本当にロマンチックだね」
 純一が車でコンサート会場まで佐奈を迎えに行き、そのまま2人で城戸崎海岸まで来ていた。
「ごめんね。そっちは仕事があるのに、付き合わせちゃって…」
「別にいいさ。俺だって、佐奈にちゃんと話しておきたいことがあったし」
 夜遅くになると、この海岸に来る人は少ない。既に、海岸沿いにあるホテルの多くは明かりが消え、宿泊客は眠りに就いているのだろう。
「最後のライブ、よかったよ」
「ありがとう。でも、さよならコンサートを2度やるなんて、変でしょ?」
「それは、どうか分からないけどね…」
 道路を照らす街灯の明かりが海岸にも届いているだけで、海岸のほとんどは真っ暗だ。波の音だけが響く、ほんのりと明るい海岸を、何するでもなく歩いていた。
「どこかに座ろう」
 海岸に上げられて、裏返しになっている貸しボートをベンチ代わりに座ると、海岸から見える島の明かりを見つめていた。
「実はね…」
「あのさ…」
 2人が同時にしゃべりだしてしまったら、何を伝えたいかなんて分からない。純一はポケットに入れてある紫色の箱を、佐奈はバッグの中にしまったままの小さな箱を、出すタイミングを同時に逃してしまった。
「やっぱり、俺らはどこか、似たところがあるね」
「そうかもね。生まれたところも、育った環境とかもまるで違うのに」 
「…実はさ、渡したいものがあるんだ」
「えっ??」
 純一はポケットの中から、紫色の小さな箱を取り出した。
「何これ?」
「開けてみて」
 佐奈は純一から箱を受け取って、その蓋を開けてみると、中から一個の指輪が出てきた。
「これって…」
「ずっと考えていたんだ。佐奈にとって、俺は本当に相応しい男なのかどうか」
「…」
「たとえ相応しくなくても、ずっと傍にいたい。いや、佐奈にずっと、傍にいて欲しい」
「…はめてよ、この指輪を。あなたの手から」
 佐奈に手渡していた箱から指輪を取り出すと、純一は彼女の指に、その指輪をはめた。
「きれい…」
(ハックション!!)
「えっ?」
「何だ??」
 2人が後ろを振り返ってみると、松本と高橋、そして北月優依と神本さくらの4人がガードレール越しに、2人の様子を見ていたらしく、その場から何とか離れようとしていた。
「何で、ここにいる事を??」
「実はね、私も松本君にお迎えを頼んだのさ。松本君が迎えに来る少し前に、藤本さんのスカイラインがコンサートホールまで来たのが見えてね。勿論、それが佐奈さんを迎えに来たのは分かっていたんだけど、そこからどこへ行くのか気になって、後の2人と一緒に、松本君の車で後を追ってきたわけ」
「そうそう。コンサートホールに愛しの彼を呼んだ佐奈が、そのあとどんな行動をとるか、見ものだったからね」
 4人には、あまり悪びれた様子は感じられなかったが、純一は怪訝そうに、4人の方を睨んだ
「面白半分に人を追いかけて、何が面白いのさ…」
「何となくよ。でも、藤本さんは随分恋愛に奥手とは思っていたけど、急に指輪を出すなんて、大胆よね」
「コラー! 人が緊張しているのを、面白がってー!!」
「ヤバイ! 逃げろー!!」
 純一は、突然逃げ出した4人を追いかけだした。途中まで来て、佐奈を置いてきぼりにしてきたことに気づいて、彼女の元へ戻った。
「ゴメン。1人でとっと行っちゃってさ」
「まさか、4人に一部始終を見られていたとはね」
 佐奈はバッグに入れてあった小さい箱から指輪を取り出すと、今度は純一の指にはめた。
「やっぱり、私だけもらうのも悪いからさ…。それに、私こそ、純一君の傍にずっといたい…」
「…ありがとう。さて、あの4人を追っかけないと」
「そうだね!」
 2人は手をつなぐと、松本たちを追いかけ始めた。そのつないだ2人の手には、それぞれが相手に贈った指輪が、街灯の明かりに照らされて光っていた。
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