モドル | ススム | モクジ

● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 12,最後のコンサート(3) ●

「…まだ、来ないのかな」
 本社の電話から、純一と青島が運用を交代した事を知って、安堵していたのもつかの間であった。その時には、既に開演20分前になり、次第に高橋は落ち着かなくなっていた。後ろの控え室では、朝風ルナが、これからステージで歌う曲を口ずさみながら、ステージに呼ばれる時を待っていた。スタイリストやメイクの人によって、完全なアイドルに仕立てられた彼女は、高橋らが知っている朝風ルナではなかった。
「まだ来ていないなんて、言えないよ…」
「高橋香織さん。今からメイクしますから」
「はい」
 メイクの人が呼びに来て、高橋は控え室へと入っていった。出番は開演後20分くらい過ぎてからだが、いまからメイクしないと遅くなるといわれた。昔はアイドルであった高橋も、現在は一般人。数年前のDAシスターズ解散コンサート以来、久しぶりにアイドルとして、コンサートのステージ上に立つのだ。
「…緊張、しているでしょう?」
 隣の席にいるルナが、メイクしてもらおうとしている高橋に声をかけた。
「ええ。芸能界を引退して何年も経ってますから…。昔のようには、うまくはいかないでしょう」
「そう…。私の手、握ってみてくれる?」
「えっ??」
 ルナは既に衣装に合わせた手袋をしているが、高橋がその手に触れてみると、手袋越しとはいえ、少し震えているのが分かる。
「本番になってしまえば、なんてことは無いけど、本番前は誰だって怖いの。私は、ずっとコンサートとかやっているけど、本番前に怖くないことって、一度も無かったよ」
「…やっぱり、緊張するんですか」
「そうね。それもあるけど、特に今からのは、本当に最後のコンサートだから、なおさらね」
 高橋は、そう明るく話すルナの声が、どこと無く寂しく聞こえたのだ。
「やっぱり、芸能界から引退するのは、何か寂しくてね」
「ルナさん…」
「純一君、まだ来てないんだってね」
「…ええ。急に、路線バス運転の仕事が入ったらしくて…。何とか交代して、今は、こっちに向かっているそうですけど…」
「そうなの。最初から見て貰えないのが残念だな…」
「そうですね。彼だって、絶対に最初から見たかったんでしょうし…」
『ルナさーん。そろそろ、ステージのほうにお願いします』
 ステージのスタッフが、ルナを呼びに来た。時計を見てみると、開演時刻の数分前になっていた。
「逃げ出したくなるな…」
「…そんな事、主役が言ってはいけませんよ」
 高橋をメイクしているスタッフがその手を止めて、ルナに言った。
「そうなんですけどね…」
「せっかく、DAシスターズの元メンバーたちが、あなたの門出を心から祝すのに、久しぶりに集まってくれたじゃないですか。それに、ファンの皆さんだって。主役のあなたが弱気だったら、それこそガッカリしちゃいますよ」
「分かってますよ。そこまで言わないでくださいよ…」
 ルナが控え室から出る間際、メイクさんがルナの腕に、赤い色のリボンを結びつけた。
「…いつもはしないけど、緊張を和らげるお守り。ルナさんにやるのは、これが最後ね…」
「ありがとう…」
 迎えに来ていたスタッフに案内されて、ルナは控え室を後にした。
 高橋のメイクは徐々に進み、アイドル『美倉マナ』へと、少しずつ戻り始めていた。
「数年ぶりにメイクしてもらっていますけど…。何か、いつもの自分ではないみたいですね」
「…そうでもないと、思いますけどね」
 メイクをしてもらい始めてから、どれくらいか経つと、完全に『美倉マナ』へと戻っていた。最後に、メイクさんが赤いリボンを高橋の腕に結びつけた。
「ルナさんにやったのと同じ、緊張を和らげるお守りです」
「ありがとう…」
「期待しています。今夜、数年ぶりにステージで見られる、美倉マナに」
「えっ?? DAシスターズで、一番目立たなかった私を知っているの??」
「はい。元々、DAシスターズの中では、美倉マナさんが一番好きなメンバーでしたから」
 引退してから数年。元メンバーでは、自分のことは佐奈(朝風ルナ)さんしか覚えていなかったのに、まさかメイクさんが覚えているとは、思いもしなかった。
『美倉マナさん、そろそろスタンバイをお願いします』
「とうとう、出番が来ちゃったよ…」
「大丈夫ですよ。いつもDAシスターズの隠れた主役として、グループを引っ張っていたマナさんなら」
「ありがとう」
 呼びに来たスタッフに案内されて、ステージのほうへと向かって歩き始めた。
「数年前の美倉マナには絶対戻れないけど、今の美倉マナになればいいんだ」
 彼女はそう自分に言い聞かせていた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 ACT All rights reserved.