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● 時のメロディ --- 9,新たな道しるべ ●

 新会社を設立して正式に独立する事が決まったその日の夜、仕事が終わった純一は、松本と高橋を連れて『BAR Bluesky』へ向かった。一緒に街頭に出て署名活動をしてくれた御礼と、今後のことを話し合いたかったからである。
「珍しいじゃん。純一が飲みに誘うなんて」
「深い意味は無いけど、この前の署名活動の事とかで、お礼がしたかったんだ」
「…でもな、俺らより先に、ルナさんにお礼したほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ。後から来ることになっているから」
 『BAR Bluesky』に入ると、他の客が何人かいるものの比較的静かであった。3人は空いている団体席を見つけて座ると、それぞれ先に飲み物を頼んだ。
「何か、雰囲気のいい店じゃない」
「実はさ、この店って、佐奈…ではなくて、ルナさんが教えてくれた店なんだよ」
「そういえば、佐奈て誰?」
「ルナさんのことだよ。俺に、この店を教えてくれたときは、『石川佐奈』と名乗っててね」
「そういえば、合コン行った時に、帽子と眼鏡着けていた子と2人で、抜駆けしてたな。まさか、覆面をしたルナさんが、そんな合コンに参加していたなんて、誰も思わなかっただろうな。無論、俺もわからなかったけど」
「俺だって、それを署名活動のときに知ったんだよ。目の前で朝風ルナ本人を見ているのに、分からなかったなんてな」
 その時、店のドアが開いて、帽子と眼鏡を着けたルナが入ってきたのを確認した純一は、手を振って合図を送った。
「少し仕事が長引いてしまって、待たせてごめんなさいね」
「うちらも、さっき着いたばかりですよ。それにしても、やはり帽子と眼鏡をしないと、やはり周りが気になりますか?」
「とりあえず外を歩く時には、やはり着けないと周りの人にバレてしまって、騒動にならないか心配だから」
 ルナは帽子と眼鏡を取ると、店員を呼んで飲み物を頼んだ。松本や高橋とも、既に署名活動のことがあったために、すっかり顔なじみとなっている。店にいた客も、ルナに気付いたものの、対して騒ぐようなことはしなかった。
「一応、あのお客さんも顔なじみなのよ。だから、私に気付いても騒がないでくれるの」
 そのうちに、4人が頼んだものが運ばれてきて、まずは乾杯をした。
「署名活動の時、いろいろと協力してくれて、ありがとうございました。ルナさんのおかげで、署名とか上手くいきましたよ」
「私が出来ることを一応やっただけだから、そんなに気にしなくてもいいのに。それで、署名活動の効果はあったの??」
 純一は黙り込んでしまった。本当であれば、集まった署名などを本社が受理して、協議を重ねた後に、路線バスの運行継続が決まったという報告をしたかった。しかし、運行継続だけは決まったものの、違う形での継続になったことを、報告しなければならないことが何よりも辛かった。
「…あれだけの署名が集まっても、廃止で決定なの?」
「いいや。運行は継続出来るんですけど、東海電気鉄道としての運行継続は出来ないんですよ。とりあえず、東海電気鉄道が幾分か出資する形で新会社を作って、路線バスの運行をする事になったんです。とりあえず、何とか地域の足だけは守れそうですけれどね…」
「そうか…。やっぱり、会社の人は、反対する人の意見を理解してくれなかったんだね。悲しいけれど」
「少数ですが、上層部でも一部は賛同してくれたんですよ。その人たちが、独立することを勧めてくれたんですよ」
「それでも、賛同してくれた人たちはいたんだ」

 協議の最中、廃止反対の意見を尊重した上層部の役員は少なからずいた。その中でも、東海電気鉄道の秋月社長や、鉄道事業部の役員のうち数人は、路線バス事業の急な見直しに疑問を抱いて反対意見を出した。
「地域の路線バス運行に代替案を出さず、黒字路線だけを残して廃止させるとは、どういうつもりですか?」
「今の経営状況なら、黒字路線や鉄道収入で赤字の補填は叶いますが、今後の運行実績などによっては、経営を圧迫させかねません。今のうちに手を打つ方がいいと思いますが」
「何を言っているんですか。路線は赤字でも、路線バスを使っているお客さんは、何百人も、何千人もいるんですよ。その人たちを路頭に迷わせる事が、私たちのやることですか」
 結局は『経営に際して邪魔になる赤字要因を出来る限り削減して、経営改善を行う』という考えを持つ、多くの役員が提案した意見の方が多勢を占めてしまったために、地域の足を守るという会社の信念も形もなく崩れていた。

 廃止に反対した社長を含めた少数の役員と純一は、『青葉台地区路線バス再生会議』として、何とか路線を維持する方法を話し合った。少なくとも、現在の形では路線バス維持をする事は出来ないため、別の形で維持する方法を考えなければならなかった。いったいどうすれば、確実な方法で路線バスを維持できるのだろうか。
「急に代替バスを走らせてくれとか言っても、地方行政は動いてくれないだろうな」
「…一番確実な現状維持が出来ないのはつらいですね」
「君ら現場の人間が、維持を訴えていることはわかるんだ。無論、廃止したら君たちだって路頭に迷うだろう。それに、車を運転できない人たちにとっては、バスが一番重要な交通手段だ。何とかしたいところだがな…」
 そのうちに、役員の1人が新会社設立の元で路線バス維持を図ることを提案したのだ。
「後は、青葉台営業所が新会社となって独立し、車両とかを確保して、運行をするしかないかな」
「しかし、バス会社を新たに設立するというのは莫大なお金がかかるんですよ? 車両を買うにも何にしても」
「その辺は、東海電気鉄道からはある程度、車両や現在の営業所を移管する費用などは捻出するつもりだよ」
「でも、他の役員さんは賛成しますかね?新会社設立しての運行維持に…」
「大丈夫だろう。それまで反対してきたら、それはそれで考えるよ」
 その後、独立しての運行継続は認められ、自治体への新会社支持と支援を要請するなどして、何とか運行継続までの道筋は何とか確保していた。

「とりあえず、署名活動で協力してくれたルナさんたちには、どうであれ最初に報告しておきたかったんです」
「新会社として独立か。道は険しいけど、沿線住民の人たちに喜ばれる路線バスにきっと出来るよ」
「…ありがとうございます。少し勇気もわいてきました」
「先に言われちゃ適わないな。俺も新会社を立ててまで、存続しようとする心意気には負けた。俺だって協力するぞ」
「私も…今の組織の中では出来ないことも、きっと出来るようになると思う。その時には、藤本さんについていくから」
 少なくとも、ここにいる4人は同じ志である。新会社として独立して、路線バスを運行開始するまでには、きっと険しい道のりになることを、純一は既に覚悟していた。
「ありがとう。ここまで仲間がいれば、もう諦めたり引き返すなんて考えはもう無い。みんなで協力していこう」
 それから、飲んだりしているうちに時間は過ぎていき、店の閉店とともにお開きにする事になった。
 同じ方に家のある松本と高橋を、同じタクシーに乗せて送り出した後、純一はルナを、マンションまで送ることになった。
「大丈夫ですか? 相当酔っているみたいですけど…」
「平気よ、これくらい。簡単に倒れはしないからさ」
 マンションの前まで着き、助手席を見たら、酔いに負けて彼女は眠ってしまっていた。だからといって、目を覚ますまでこのままこの場所に車を止めているわけにもいかない。
「…しょうがないな」
 純一は彼女を背負って階段を上り、部屋の前でカギを探して部屋の扉を開けると、手探りの状態で明かりをつけて中へ入り、彼女のベッドの上に寝かせると、掛け布団をかけた。明かりを消して部屋を出ると、カギを投函口から投げ入れて、その場所を後にした。
 車に乗り込む前、夜空を見渡すと雲ひとつ無い満天の星空が頭上に広がっていた。
「諦めきれない…か。最初に言い出した俺がくたばれないよな」
 純一が帰宅した時には深夜0時を過ぎており、酒は飲んでいなかったが、頭痛を覚えていたために、そのまま部屋へ戻って寝てしまった。
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