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● 時のメロディ --- 10,雨の日の夜の出来事 ●

 翌日、頭痛を堪えてベッドから起き上がると出勤する支度をするため下へと降りた。
「…お酒は飲んでいないのにな」
 顔を洗って身支度を済ませると家を出た。早朝は外気が少し肌寒いものの車を運転するには気楽ではある。出勤時刻よりも前に営業所へ着き、コーヒーでも飲んで一息を入れるつもりでいた。
「今日は雨が降りそうだな…。通学の時間帯とか、結構混みそうな気配がする」
 雨の日になると、高校などの場合は、自転車通学者などもバスを使って学校へ通う。その乗降などで時間がかかり、普段であれば間に合うはずの電車に、間に合わなくなることも少なくなかった。
「今日は、遅延証明書とか、多めに持って出るか」
 営業所へ着くと、コーヒーを飲んで眠気を覚ましてから、車内の清掃や整備に取り掛かった。それらを終えた後、事務所でどれくらいかの書類に目を通してから、運行表や遅延証明書などをもって事務所を出た。いつものとおりにバスを運転して営業所を出発するくらいになって、雨が降ってきた。
「やっぱり、降ってきたな…」
 神崎駅に着くと、既に高校生などがバスを待っていた。学校などの公共施設が廃止対象路線の沿線にあり、その通学の足が消えるのを、生徒とその家族ばかりでなく多くの人が心配していた。それだけに新会社設立の上での運行維持は、行政などにも賛同されたのだ。
「この先の道は真っ暗だけど、誰かがやらなくてはいけないことだしな…」
 雨の日とはいえ、学生などで座席が埋まって混雑しかけている。純一は車内アナウンスを入れて、バスを発車させた。
『本日は雨のため、大変滑りやすくなっております。お立ちのお客様は必ず手すりやつり革などにお掴まりください。また、大変混雑する事が予想されますので、なるべく中の方へお詰めくださいますように、ご協力ください』
その雨は、夕方を過ぎても一向に止まず、夜になってようやく止んだ。純一は乗務を終えて営業所へ戻ってくると、点検などを済ませて退勤した。しかし、すぐに家には帰らずに、山の中にある展望台へと向かった。
 近くの駐車場へ車を止めると、眼下に広がる風景を眺めていた。
 その時、ポケットの中に入れてあった携帯電話が鳴った。
「はい、藤本ですけど」
『朝風ルナです。昨日はありがとうございました』
「どうも。昨日は遅くまで、付き合わせてしまってすみませんね」
『いえいえ。私も皆さんとお話が出来て楽しかったです。普段は一人で行くことも多いですから』
 電話をかけてきたのはルナだった。
「そういえば、仕事終わったんですか?」
『はい。純一さんも、すでに仕事終えられているんですか?』
「ええ。今は少し気分転換で、展望台に来て景色を見ています。夜の街明かりは本当に綺麗ですよ」
『…見てみたいです。今から行ってもいいですか?』
「ええ。是非、見たほうがいいと思いますよ。そっちまで、迎えに行きましょうか??」
『いいえ。実は先日に車を買って、今日納車されたんですよ。その試運転を兼ねて、出かけてみようと思うんです』
「ほう。いいじゃないですか。この時間だったら道は暗いですけど、運転の練習も、気兼ねなく出来ますよ」
 電話が切れると、純一は携帯電話をポケットにしまった。
 近くの自動販売機で温かい飲み物を買って飲んでいると、一台の車が上ってくる音が聞こえた。それから少し経って、真っ白な車体のスカイラインR33GT-Rが展望台まで来ると、純一のスカイラインR32GT-Rの隣へ止まった。そのドアを開けてルナが降りてきたのことに、純一は驚きを隠せなかった。
「来ちゃいました」
「まさか、ルナさんの車がスカイラインだとは…。正直、そうとは思わなかったな」
「前にBlueAutoという車屋さんの前を通りかかったら、この車が置いてあったんです。翌日に、こっそり行って買っちゃいました」
「ああ…。そういえば、だいぶ前に、こんな車が店の前に飾ってありましたね」
 純一が愛美の両親から譲り受けて乗っていたクラウンが、故障によって廃車になった後、今の愛車であるスカイラインR32をBlueAutoから代車として借りた。そのとき、道路から見えやすい位置に、白いスカイラインR33が置いてあった。それからしばらくして、車の相談をしに行った時には既にその場所にはなかった。後で聞けば、買い手がついたので奥の工場で整備していると話を聞いていたが、まさかその買い手が朝風ルナだとは思いもしなかった。
「事務所の方や田崎さんは、この車の事を知っているんですか?」
「まだ知らないでしょう。お店の人に、今日あたりに納車になるとは聞いてましたけど、車が来てからじゃないと信じてもらえなさそうですから」
「車を買ったと言っても、このR33がルナさんの車だと知ったら、きっと驚くでしょうね」
「そうでしょうね。何か、そんな映像が浮かびます」
「それにしても、変な偶然ですね。僕が乗っているR32も、元々BlueAutoで代車に使われていた車なんですよ。以前は売っていたのかもわかりませんけど」
「でも、いいじゃないですか。形と色は違いますけど、同じスカイラインに乗っているのって」
「…おかしいというか、何か素敵ですよね。バスの運転手とアイドル、接点なんて普通に考えれば、全然と言っていいほど無いのに、車とかであるなんて」
「『接点』なんて、作ればいくらでも出来るじゃないですか。誰だって、初めに会った時には仲良くないのに、信頼関係は自然と接していけば、気付いていけるものだから」
「そうですよね。僕も中学時代に転校してきてから、出会った同級生に同じようなことを言われたんですよ。何か、思い出話になってしまいましたけど」
 眼下に見える景色を眺めながら思い出話をした。
「そういえば、ルナさんはどんな学生時代を過ごしたんですか?」
「中学の頃はとても地味な性格で、ただ歌手になりたいという夢を追いかけていたような感じがします。高校2年のときにオーディションに受かって、芸能界に入ってからずっと、学校と両立してきたから、学生時代の想い出もないんです」
「僕はどうだったかな… 静岡からこっちに転校してきて、ようやくこっちの生活に慣れていたときに同級生の女の子と仲良くなったんだっけな…。その子の名前とかは覚えてはいないんだけど…」
「私は、その逆ですね。中学生だった時に転校生が来たんですよ。いつの日だか、同じ掃除当番だった他の同級生が部活とか委員会で先に抜けて、私一人で教室の掃除をしなければならなかった時があったんです。でも、その転校生が手伝ってくれたんですよね。それから意気投合して友達になったんですけど、進学した高校が違くなって、疎遠になってしまいましたね…」
「でも、その転校生さんも放っておけなかったんでしょうね。当番とはいえ、一人で掃除していたルナさんに」
「今でも、その時の転校生さんと出来れば再会したいと思っているんですが、名前とかも忘れてしまっては探せませんね…。でも、何となく純一さんと雰囲気が似ていたんですよ。何にも一生懸命に取り組んでいるところとか」
「きっと、その転校生さんもどこかであなたの歌声を聴いていると思います。いつか再会できるといいですね」
「はい。私もいつか、再会できることを心から願っています」
 この時、日中に雨が降っていたとは思えないほど、雲ひとつ無いきれいな星空が輝いてた。
 その出来事から数ヶ月、青葉台交通として独立開業に向けた準備は着々と進められていたが、幾度となく大きな壁にぶつかっていた。純一はその度に事態を打開するために奔走し、何とか準備もひと段落着いていた。そんなある日の夜、休みの日が重なった松本と高橋を誘うと『BAR Bluesky』へ飲みに行った。
「そういえば、今日はルナさん来ないのか?」
「一応、誘ったんだけど、仕事があるらしくて、来れないってさ」
「…全盛期のアイドルって、結構仕事が多くなるから、この時間でもレコーディングしているのかもね」
「何で、そういう事を知っているんだ?」
「私も数年前まではアイドルとしてテレビに出ていたのよ。自然に消えて、一般人になっちゃいましたけどね」
 高橋が元アイドルだという意外な過去は、少なくとも純一と松本は知らなかった。
「私もこの事はほとんど話したことは無かったし、それにユニットのメンバーとして出ていただけだったから」
「そうだったんだ。もしかして、DAシスターズの美倉マナとして出ていた??」
「えっ…。どうして、私の芸名を知っているの?」
「ルナさんからそんな話を聞いたことがあったんだよ。『解散してしまったDAシスターズのボーカルだった美倉マナさんは、脇役に徹しているのに、他の3人よりとても歌とか上手だったってね。ソロでもやっていけたのに引退してしまったのは、勿体無かったんじゃないか』ってさ。俺もDAシスターズの歌は結構聴いていたから、少しは分かったんだけど」
 あるオーディション番組か何かから、アイドルグループが何組かデビューしていたが、その中でも際立って人気を得ていたのが、女性4人組のアイドルユニット『DAシスターズ』だった。現在でこそ、ほとんどアイドルの歌を聞かない純一ではあるが、DAシスターズの歌は好んで聴いていた。
「他の3人は何かしらで見るんだけど、美倉マナだけは見なかったんだよ。まさか、高橋さんが美倉マナだったとは…」
「3人と比べたら、私なんて才能はまるっきり無いから。解散したら潔く芸能界から足を洗って、一般人として生きていこうと思っていたの。でも、ルナさんがそう見ていたとは思いもしなかったな」
 そんなことを話していたとき、店員さんが店のテレビをつけてくれた。
「多分、朝風ルナさんの会見をテレビで流すんじゃないかな」
丁度、ニュース番組の放送が開始されており、最初のニュースで朝風ルナの報道が流れた。
『朝風ルナ、芸能界引退を表明』
 会見の映像とともに出されたテロップに、純一らは驚きを隠せなかった。
「本当かよ…」
「私もてっきり新曲か番組の会見だと思っていたけど、まさか引退会見だったとは…」
「でも、どうして急に引退を発表したのかな…」
 突然の朝風ルナ引退会見、3人はテレビで会見の様子を見ていた。
『私、朝風ルナは皆様とともに今日まで歩んでまいりましたが、一ヵ月後のコンサートを最後に芸能活動にピリオドを打たせていただくこととなりました。今まで応援とご支持をいただきましたファンの皆様や関係者の皆様には、厚く感謝を申し上げます』
 マネージャーの田崎と桜崎プロダクションの社長の間に座った朝風ルナが、引退する事を会見で話し、頭を下げると一斉にカメラのフラッシュが焚かれた。
「…どうして、ルナさんは引退してしまうのかな」
「分からないな。でも、本心を聞く気にはなれないよ」
「どうして?」
「今の俺には、その理由を聞く理由さえも無い気がする。きっと悩みぬいた決断が引退だったんだろうからな…」
 その3日後、ルナから1ヵ月後に行われるコンサートにチケットが手紙とともに純一のところへ送られてきたが、彼はその手紙を読む気にもなれずにいた。翌日にチケットのこととかを松本に話し、その相談に乗ってもらった。
「…俺は、今度彼女に会ったら、何て声をかけてあげればいいのだろうか」
「チケットが来たという事は、最後の晴れ舞台を純一に見ていて欲しいという事だろうな」
「…それは分かるんだけどな」
「まだコンサートまで1ヶ月あるんだから、ゆっくり考えればいいさ。でも、彼女の思いだけは裏切るなよ」
 路線バスに乗務中も、そのことだけが頭から離れていかずにいた。雲ひとつ無い晴れ模様の天気の中にありながら、純一の心は曇り続けていた。
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