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● 時のメロディ --- 7,想定外の出来事 ●

 クラウンが壊れ、代車のスカイラインに乗り出して2週間が経ったある休みの日、トヨタの店に注文してあったアルファードを取りに行った。その途中にBlueAutoに寄って代車のスカイラインを返した。しかしながら、その日のうちにまたスカイラインを借りなければならなかった。
「親父…勝手に無断で乗っていくなよ。ヒドイじゃないか」
 トヨタの店からアルファードに乗って帰ってきたあと、今度は母親が乗っている軽自動車を定期点検に出しに行っていた。そんな中、急にタクシーで帰ってきた父親が勝手に乗って行ってしまった。
 それまで古い日産セドリックに乗っていた父親だが、その車で事故に巻き込まれて全損してしまい、急いで車を確保するために一旦戻ってきたのだ。そこに納車されたばかりのアルファードを置いてあったのが運の尽きともいうべきか、簡単な言付けを母に言っただけで、悠々と乗っていってしまったのだ。車の定期点検を終えて帰ってきた純一は、あるはずの車が無いことに気付いて、母親に聞いて訳を知ると、BlueAutoへ電話をかけてスカイラインを再び貸してもらうことにした。
 母親に頼んでBlueAutoまで送ってもらうと、安本が店の中にいたため、車のことを含めて少し雑談をした。
「…というわけでさ、また使わせてもらわなければならなくなったんだよ」
「ひどい親父さんだな。ところで、純一はあのスカイラインを貰う気は無いか?」
「えっ?」
「あの車も、数日後に廃車する予定だったんだ。車検切れも近いしな」
「ほうほう。廃車するのももったいないし、このまま乗るんだったらタダでやる と、そういう事か?」
「そういう事だ。名義変更とかは自分でやってもらうことになるけど、悪く無い話だろ?」
 簡単に商談がまとまってしまい、純一はスカイラインを自分の車として乗り続けることになった。その一週間後には、既に譲渡証明書などの書類を持ち、陸運局へ行って名義変更を済ませた。
「純一、アルファードが納車されたんじゃなかったのか?」
「確かに納車はされたんだよ。しかしながら、親父が勝手に乗って行っちゃったんだよ」
「随分勝手な親父だな。確か前には、古いセダンか何かに乗っていなかったか?」
「乗ってた。タクシーみたいな変な車に。まぁ、同じようなクラウンに乗っていた俺が言えることでもないがな」
「あのクラウンって…愛美さんのご両親が乗っていたんだっけ?」
「そう。引っ越すから要らないというんで、俺が貰ったんだよ。ずっと、愛美の形見と思って大切に乗っていたんだがな」
「形見って…。ご両親が乗られていた車だと、そういう風には言わないだろ」
「そうだけどな。そんなこんなで、代車だったスカイラインを、今は名義変更して、俺の車にしてあるんだよ」
 事務所の前で一服していた松本に車に関する話をした。
「今まで代わりに乗っていた車が愛車になったのかよ。まあ、お似合いだからいいけどな」
「…それ、嫌味で言っているのか?」
「ただ、からかっただけだよ。気にするな」
「そうか?それならいいんだけど」
 純一が事務所に入っていくと、北沢らが何らかの雑誌を見てなにやら話をしている。そのうちに松本も会話に加わっていったが、純一自身は雑誌に載っている内容なども全然興味がなかったために話には加わらず、担当する2442号車の運行点検を行うと、運行表などを確認して点呼を受けると、そのままバスを運転して営業所を出発していった。
 神崎駅に着くと、バスの乗客のみならず、鉄道利用客なども純一の名前を知っていて、ちょっとした有名人となっていた。
 挙句には、朝風ルナと共演した番組が放送されたなどがきっかけとなり、報道関係者によって連日カメラのシャッターを向けられたり質問をされたりした。純一は一度だけ雑誌の取材を受けたことがあったものの、それの比較にならないほどであった。
「藤本さんは朝風ルナと付き合っているんですか?」
「そんな事、ありませんよ。ただ、成り行きで手を繋いで歩いたというだけなんですから」
「それは仕事上でですか?それとも、プライベートでですか?」
「仕事上のことですので、公私混同されても困ります。私はプライベートでルナさんにお会いしたことはありません」
 連日の大騒ぎとなり、藤本が担当している路線バスの便は連日の追いかけ報道陣のせいで運行が遅れてしまう事態となり、会社本体としても困惑していた。同じようなことは共演相手であった朝風ルナに対しても起こっており、連日対応に追われていた。この騒ぎが終結したのは、ルナ自身が会見を開いて、交際を否定したからだった。
『私は、確かに番組上でロケバスの運転手さんだった藤本さんに、番組収録でご一緒していただき、収録中に手を繋いで歩いたことは事実です。しかし、連日報道されておりますように、プライベートで交際しているという事については一切ございません』
 午後になると、取材陣が張り込むようなことはなくなり、純一は安堵した。だが、その会見を路線バスの運行が終わって営業所に戻ってきた後に見た純一は、同時に朝風ルナに対して申し訳ない気持ちになった。
「全ての責任をルナさんに押し付けてしまったようで、何か情けないな」
「仕方ないだろ。お前だってロケバスの運転手というだけで行ったんだし、急にああなったんだから」
「そうかな」
「あまり難しく考えるなよ。とりあえず、この騒動はルナさんが何とか収めてくれたんだし、とりあえずは忘れろよ」
「そうだな。しかし、本当に不思議なものだな。芸能人て本来は普通の人なのに、テレビとかに連日映っているというだけで見方が何もかも違ってくる。まるで、本当に世界が違うみたいな」
「でも、お前がルナさんとテレビに映っていた時、本当に純一が、違う世界の人間だと思ったよ」
「いったい、何が違うんだろうな。世間一般に言われる有名人と、普通の一般人とは」
「さあな。ところで、今から飲みに行かないか?」
「いつもの合コンか?いいよ。行こうじゃないの」
 いつもは断る純一だったが、たまにはそういうのに参加してみるのもいいだろうと考えたのだ。今までも結構相談に乗ってくれている親友からの誘いを、今回は断る理由がさほど見当たらなかったからだ。
 一度、松本の家まで行って車を置いてきて、会場になっている居酒屋『夢葉一丁目』へとやってきた。店に入ると、既に合コン仲間と思われる人たちが既に待っており、何らかの話で盛り上がっていた。その席から主催者と思われる男性が2人を呼んでいる。
「松本とお連れの方、遅いよ」
「うるさいな。仕事帰りなんだから仕方ないだろう」
 普段から参加しなれている松本は、他の参加者らの話に簡単に入っていけるが、不慣れな純一はとりあえず耳を傾けたり、さほど話に加わっていない人と多少の話をしたりしていた。
 その中で、メガネをかけたりして、周りの人と馴染んでいない女性の参加者がおり、その人に声をかけてみることにした。
「こういう会に参加したのって、もしかして初めてですか?」
「はい。やはり慣れている人は、人の話に溶け込むのが早いですね」
「そうですね。実はというと、僕も初めてなんですよ。会社の同僚と初めて参加したら、何か圧倒されてしまいました」
「…テレビに出演していらっしゃったのに?」
「はい。それにしても、普段から映っている芸能人の方々はすごいですよね。住む世界が違う人なんだと思いますよ」
「そういえば、お名前を互いに名乗らないでいましたね。私は、石川佐奈といいます」
(…石川佐奈?? どこかで、聞いたことがある名前だな…)
 聞き覚えのある名前に少し頭をひねったが、結局はいつのことだか思い出せず、今度は自分の名前を名乗った。
「どうも、それは失礼しました。僕は、藤本純一と言います。今日の昼まで、テレビで騒がれた運転手です」
「…今から抜け出しませんか?」
「えっ…。何処に?」
「近くに、私がよく行くお店があるんですよ。今からだったら、まだ開いてますから」
「いいですね。すみませんが少しだけ待っていてください。友達に言付けだけしてきますから」
 純一は急いで席を立ち、松本のところへ行くと後で合流する事を伝えて、佐奈と店を出ると、夜の街へ繰り出した。
「夜の温泉街なんかも、こんな感じでした」
「誰かと歩いたんですか?」
 テレビ番組の収録に同行して、事の成り行きで朝風ルナと初めて共演した日の夜に、再びルナと夜の街へ繰り出したことは、当然ながら言う事は出来ない。
「最近…ではないんですが、高校生くらいの時に、付き合っていた彼女と歩いたんです。でも、数年前に…」
「数年前に…何かあったんですか?」
「…亡くなったんです。」
 純一にとっては、胸が張り裂けるほど悲しい記憶だった。今でも胸中を悟られないように心の奥深くに封印していたはずなのに、夜の街の明るさなどを見て、不意に思い出してしまった。
「もう、3年くらい前になるでしょうね。遠くの方へ出かける彼女を自分が空港まで送ったんですよ。その10日後くらいに電話があって、急いで病院へ駆けつけたら、既に彼女は息を引き取っていたんです」
「…やはり、お辛かったんじゃありませんか?」
「ええ。でも、それをずっと引きずっているなんて言ったら、笑っちゃいますよね」
「いいえ…。実はというと、私も藤本さんと同じような経験、したことあるんです」
「えっ…」
「私も3年前に友達を亡くしたんです。でも、危篤を知ったときには遠くの方へ仕事に行っていたので、駆けつけることが出来なかったんです。あの時、無理を言っても駆けつけようと思ったんですが…」
「そうだったんですか…」
「…ごめんなさい。暗くなるような話をしてしまって」
 それから少しの間、2人の間は気まずくなった。純一は何とか明るい話題を出そうと思ったが、それを思いつく前に佐奈が立ち止まった。
「このお店です。普段だったら、あまり他人には教えたくないんですが、藤本さんとは仲良くなれそうなので特別に」
 店の前に経つと、『BAR Bluesky』という、小洒落た看板が目に止まる。中へ入ってみると、これまた小洒落た雰囲気の小さなバーだった。中にお客はほとんどいなく、店主らしき女性が、カウンターのところに立っていた。
「いらっしゃいませ」
 様々な種類の酒と、名前が書かれた札のかかった酒が、カウンターの後に飾られるように置いてある。
「せっかくですから、カウンター席に座りませんか?」
「ええ、いいですよ」
 佐奈に勧められるがままにカウンター席へ座った。自分で車を運転していることを言って酒を控え、グレープジュースを頼んだ。彼女はカシスオレンジだかの酒を頼み、つまみの類とともに両方が出されてから、小さく乾杯した。
「そういえば、佐奈ちゃんのお連れの方…。朝風ルナさんとともに騒がれていたロケバスの運転手さんじゃないですか?」
 店員が気付いて急に聞いてきたので、純一は慌てた。あと少し遅ければ口に含んでいた中身を噴出しそうになっていただろう。
「はい。よくわかりましたね」
「連日、ニュースに取り上げられていましたので、名前と顔を覚えてしまったんですよ。それに常連客の方は、願っても叶わない共演を果たした藤本さんを、心から羨ましがってました」
「そうだったのですか。せっかく紹介していただいても、今度は入店しづらそうですね…」
「いえいえ、ご来店いただいているお客様に、怒っている方は誰もいませんから。ところで、一つお聞きしたいのですが…。藤本さんは朝風ルナさんをどう思われているのですか?」
 純一にとっては難しい質問である。今まで、彼女が出演した歌番組とか雑誌を見たことがなく、初めて彼女を知ったのが仕事でお会いしたときだったからだ。その第一印象で思い浮かんだ言葉を口に出した。
「…素敵な人だと思いますよ。テレビとかに出ている時には、それを見たり聞いてくれる人たちに、必ず笑顔をプレゼントしようとしていますし…。でも、本心だけはどこかに隠していそうな気もするんですよね」
「…」
「ありのままに声と表情とかを使って何かを表現して、人の心を掴んで離さない魅力に溢れていると思います。共演させていただいたときに、初めてお会いしましたけど、これからもずっと、暖かく応援していきたいと、心から思いますよ」
「ほうほう」
「でも、本人の前では、とても恥ずかしくて言えません」
「…」
終始、佐奈は黙っていた。店員さんも気まずそうにコップを拭き、食器棚へ戻していた。
「もしかして、変なことを言いましたか?」
「…いいえ。ライブとかだと、ファンの方はよく熱狂するじゃないですか。でも、藤本さんは、そういう風に熱狂するようなファンじゃないみたいですね」
「ライブとかに行ったことが無いから、その雰囲気が分からないんですよ」
「行ったことがあっても、きっと周りに合わせて、ペンライトを振るとかしか、しなさそうですね。一部のファンの人のように、声を張り上げることはしなさそう」
 店のカウンターの真ん中にカラオケのモニターがあり、そこに収録されている曲のタイトルとかが映し出される。
「やっぱり、朝風ルナさんの曲って人気があるんですね」
「よく来店する女の子とかが歌うんですよ。やっぱり、憧れる人が多いんでしょうね」
 帰り際、佐奈が携帯の電話番号を書いた紙を純一に渡した。純一も、ちょうどポケットに忍ばせてあったメモ帳を一枚取ると、そこに自分の携帯電話の番号を書き写し、それを彼女に渡した。
「よかったら、いつでも電話してください。またお会いできれば嬉しいです」
 佐奈がタクシーに乗って帰っていくのを見送ると、純一は松本に電話をかけて居酒屋へ戻った。酒に酔っている松本を家まで送ってから帰宅し、交通情報を聞こうとラジオのチャンネルを合わせると、朝風ルナの歌声が聞こえてきた。
「…人の心を掴んで離さない魅力か。そんな事、恥ずかしくて言えないよな」
 翌日、佐奈に教えてもらった番号に掛けてみると、昨日初めて会って、意気投合した彼女の声が聞こえてきた。だが、後ろの方で何かの物音が少しうるさいのが気がかりではあった。しかし、そのまま何かしらのくだらない話をして電話を切った。
(何か、初めて清清しい気分かも)
 純一に再び、春が来そうな気配がしていた。
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