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● 時のメロディ --- 4,さよなら2433号車 ●

 その頃、純一は青葉台駅にいた。これから神崎駅まで行く運用を担当するために一時的に休憩をしているのである。駅の売店で瓶に入ったコーヒーを買って飲むと、瓶を返す際に売店の人と話し始めた。
「最近は、結構車に乗る人が多いし、バスを使う人もあまりいないのかな」
「そうでもないんでしょうけど…。あまり長くバスに乗る人は少ないでしょうね」
「バスもだんだん用無しになってくるわけか。本当に寂しい事ですな」
「それでも、バスとかの公共交通機関しか頼れない方たちのために必要ですしね」
「そうですけどね。いつ経営切り離しとか廃止の通知が来るかもしれないのが怖いですわ」
「…それもそうですね。でも、あまりそういうのは考えないほうがいいと思いますよ」
「そうですね。すみませんね、愚痴聞いてもらっちゃって」
 彼はバスへと戻ると、指定された乗り場へ横付けした直後、バスに備え付けてあった無線の機械が鳴った。
「はい、2433号車の藤本です。所長、何かトラブルでも?」
「藤本、桜崎プロダクションの田崎という男の人から電話があったんだが」
「…桜崎プロダクションといったら芸能事務所ですよね。今朝のことでしょうかね」
「多分そうだと思うが、後で電話をかけておいてくれないか。番号は…」
「ちょっと待ってください。自分の携帯出しますから」
 純一は業務用鞄に入れてある自分の携帯電話を取り出すと、電話越しに番号を聞き、携帯電話に記録した。純一も聞いたことない番号である。
「一応用件はそれだけだが、くれぐれも安全運転でな」
 電話が切れると、純一は業務用鞄に携帯電話をしまうと、時間を確認してバスを発車させた。しかし、2433号車の走行音が少し違っているような気がしていた。
(いつもの音じゃないな…。何か苦しそうというか、息がたえだえのような感じだ…)
 純一は神崎駅まで運行して、そこから別の車両に変更して修理に出せば大丈夫だろうと思い、乗客を待たせるわけにはいかないのでそのまま運行を続行した。
(頑張れ2433号。もうすぐで終点に着くからな)
 純一は祈る気持でいっぱいだった。もし、途中で故障してしまったら、乗客に迷惑がかかってしまう。せめて、その事態だけは避けたい。そして、神崎駅まで到着したとき、停止時でも出さない異様な音を出してエンジンが止まってしまった。再起動させようとしてもセルモーターの回る音しかしない。ドアを開けて乗客が全員降りた後、車両後部の方を見に行くと、エンジンルームから白い煙が出ているのだった。
 急いで休憩所へと向かい、そこで缶飲料を飲んでいた松本に声をかけると、バス待機場に停車していた彼の担当車両である2474号車の無線を借りて、青葉台営業所と連絡を取った。担当の事務職員が出た。
『はい、青葉台営業所』
「2433号車の藤本です。現在は2474号車の無線で話していますが、2433号車の方がエンジントラブルか何かの原因により故障、動けなくなりました」
『わかりました。至急修理業者の手配と共に、代わりの車両の方を手配いたします』
「お願いします」
 無線が切れると、降車場に立ち往生した2433号車をどかすため、急遽2474号車を引き出してもらうと、2433号車とをケーブルでつなぎ、徐行運転で牽引してもらい、待機場の隅の方へと引き上げさせた。
「まったく…。今日に限ってこれだよ。ついてないな…」
「仕方ないよ。この車も相当疲れてたんだよ」
「ああ…。俺、運転下手だわ…」
「何を言っているんだよ。純一だから、この2433号車は動いてくれたんだろうに」
「そうだな…」
 2433号車を移動したあと、2474号車は乗り場の方に移動された。そのうちに代車の2442号車を運転して藤谷所長が神崎駅のバス待機場まで来た。
「とうとう、これが故障か。そろそろだとは思ってたんだがな」
「笑い事ではありませんよ。路上で故障したときのことを考えたら…」
「そうだな。そろそろ修理業者が来るはずなんだが…」
 修理業者のライトバンが来て、技師が降りてきた。
「どうも、高木自動車の者ですが」
「すみません。お忙しいところ急にお電話して…。この車なんですが」
「先ほどのお電話によりますと、エンジン付近から煙が出たとのことですが…」
「はい。一応、駅に到着してからエンジンが急に止まって煙が出たみたいですが」
 後の詳しい状況を藤本が説明すると、技師はエンジン付近を中心に点検をした。
「ダメですね。すでにエンジンが死んでますよ。ですが、おかしい箇所があるのですよ」
「既に走っている最中にエンジンが壊れたみたいだと申されていますが、いったい何故、ここまで走ってこれたのかが不思議でしょうがないのですが…」
 その現場に立ち会っていた誰もが理解に苦しんだ。走っている途中で何故エンジンが壊れたのに走り続けられたのか。ふと、藤本の脳裏に物理的見解が出来ない、ある理由が思い浮かんだ。
「もしかしたらこの車は、気力だけでここまで走ったのではないでしょうか。」
「…気力?そんなわけないだろう。人間ではないだろうに」
「しかしですね…。それ以外に考えられる理由がないのですよ。エンジンが壊れたら即止まるのに、そのまま走り続ける事なんて、科学的理由では考えられないでしょうし…」
それだけいうと藤本は俯いてしまった。長年連れ添ってきた愛車ともいうべき2433号車が動けなくなってしまったという事実を受け入れるのに抵抗があるのだろう。
「…たぶん、そうなのかもしれないな」
 神崎新興住宅地へ向かう乗客を乗せるため、乗降場にバスを停止させた松本が戻ってきた。
「純一、2433号を壊したのは自分のせいだって思っていないか?」
 壊れて動けなくなった2433号車の前で立ち尽くしている純一に声をかけた。純一の目からは一筋の涙が流れた。それを見た松本は、そっと肩を叩いた。
「それは大きな勘違いだと思うよ。純一がずっと手入れを欠かさずに乗務していたから、2433号車は、ずっと走り続けられたんだし、この車両も純一に感謝してると思うよ」
 さらに続けた。既に、自分が担当する便の発車時刻が迫っていることも忘れていた。
「機械は必ず壊れるけど、その原因を直せるものもあれば直せないものもある。この2433号車は最近ずっと故障が多かったと聞くけど、純一はそれを承知で運行し続けたんじゃないのか?後悔しろなんて言わないけど、この車両と走り続けてきた年月と思い出は絶対に忘れるなよ」
 純一は持っていたハンカチで涙を拭いた。松本は担当する便の発車時刻になっているのに気づき、慌てて自分の担当車両に走って行った。一部始終を見守り、作業の片づけを終えて戻る支度をしている修理工場の人に挨拶していた藤谷所長が、代車として運転してきた2442号車のカギを手渡した。
「当分はこの車両を藤本の専用車にする。次のダイヤも正確に走ってくれ」
 純一はカギを受け取ると、2442号車の運転席に乗った。発車時刻になると、神崎駅のバス待機場で停止したままの2433号車をバックミラーに見ながら神崎駅を後にした。
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