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● 時のメロディ --- 17,それぞれの思い(その1) ●

 東海電気鉄道青葉台営業所としての最後の日がやってきた。長い間慣れ親しんだ机とかを見ながら、感慨深げだ。
「これで、この営業所も最後だな」
「よく言いますよ。普通なら、所長はこの日で定年退職のはずなのに、軽々と本店の役員に昇進じゃないですか」
「そう言うなよ。これで、営業所のみんなとお別れするのは寂しいからな」
 この数日前から、青葉台営業所の閉所と、青葉台交通への引継に関する事を知らせる告知が張り出されていたし、バスにはその旨を知らせる垂れ幕がかけられていた。最後の青葉台営業所長となった藤谷は、東海電気鉄道に用意された役職へ就くらしい。
「最後の一日も、よろしく頼むぞ」
 いつも通りの運用に、担当の運転手らは自らのバスに乗って出発していった。
「藤本は、行かないのか?」
「何言ってんですか。俺らは明日の準備をしなければ」
「そうか。青葉台営業所の一番成績のいい運転手が、最終日に出ないのは皮肉だな」
「…所長。おちょくってんですか?」
 純一は拳に力を込めながらも、直前で抑えつけていた。
 明日から営業を始める新会社『青葉台交通』に対する皮肉を、藤谷は露骨に口にしたのだ。それも、それを実現するために奔走し、初代社長に就任する純一の前で。
「所詮は、本部のキャリアですか」
「…どうせ、俺はキャリアだ。それがどうした。文句でもあるのか?」
「無いですよ。これで、口うるさい東海電気鉄道本社の言うことを、聞かなくてもよくなることに、清々してますよ」
 それだけ聞くと、藤谷は黙って、事務所の中へと入って行った。
「…純一、やはり所長は本部からの出向だったんだな」
「これでスッキリするな。あの所長の嫌味を聞かなくてすむ」
「それもそうだな。でも、お前が今度は社長かよ」
「社長というのは名ばかりで、実質的な支店長に成り下がるよ。まだ権力を本部が持つことになるんだし」
「…どんな意味があるのか。子会社という形で独立するなんて」
「手腕を試されるという事じゃないかな。どちらにしても、本部の思い通りの方向に進みそうな気はするけど」
 明日から運行を開始する路線車両の清掃をするのに、純一がその場を離れようとすると、松本がそっと止めた。
「ところで、朝風ルナさんとはどうなった?」
「…まだ平行線のままだよ。数日前の事故から、どうしても顔を合わせられないんだ。まだ、彼女はアイドルのままだし」
「えっ?」
「正式な引退には、まだなっていないらしいんだ。レギュラーだった番組は全部降板したのに、まだ一般人にはさせてくれないらしい。何か、最後のCDを出すとか言ってたかな」
「…一緒に創業社員の一人として、迎え入れられないのが残念だな」
 純一はこくんと頷いたが、内心は複雑だった。
(…佐奈を、小さなバス会社の社員の一人に迎え入れても大丈夫なのか?)
 松本が路線バスに乗務して、営業所を出発していくのを見届けた後、純一は車両清掃を行うために歩き出した。

 神崎駅から午後9時過ぎに出発する、青葉台方面へ向かう路線バスの最終便には、松本が就いた。他の乗り場には、本所とかの車両が並ぶが、やはり夜というのもあって閑散としている。
「夜遅いのに、この乗り場に多くの人が集まっているなんて珍しい」
「そりゃそうだろう。東海電気鉄道の路線バスとしては、最後の運転だからな」
 最終便の出発前、乗客有志によってセレモニーが開かれた。その最中に、乗客の一人から花束を受け取ると、何ともいえない複雑な気持ちになった。
「これからも、青葉台交通として、皆様のお供をしてまいりますので、これからもよろしくお願いします」
 松本は、花束を受け取った時にそう挨拶した。その後、有志の見送られて神崎駅を後にした。
(これで、2474号ともお別れなんだな)
 松本がこれまで専用で乗務してきた車両『2474号』は、青葉台交通引継車両の中に入っていない。青葉台駅に到着後、一旦車庫で準備などをしてから、本所まで回送運転する事になるだろう。
 青葉台駅に着いて最後の乗客が降りた。空になったバスを一通り点検した後、前のドアを閉めた。
「これで、最後なんだな…」
 営業所まで出発する時、駅まで乗ってきた乗客たちが大歓声で見送った。松本もクラクションを鳴らして答えると、夜道を営業所へ向けて走り出した。
 営業所へ到着すると、既に本所へ回送される車両が集められていた。
「出来れば、ずっと使いたかったな…」
「そうだな…」
 返す車両をチェックしながら、藤崎らがぼやいていた。
「あれ? 純一は??」
「えーっと…。藤本は事務所の中だよ。何か、高橋さんとしゃべっていたけどな」
「何をしゃべってんだろうな…。さて、俺もこの車の清掃をしないとな」
 藤崎が2474号の欄にチェックを記入した後、事務所へと表を戻しに行った。
 松本が洗車場へ行って掃除し始めると、表を戻してきた藤崎も、それに加わった。
「そういえば、藤本は朝風ルナさんと何らかで関係があるんだってな」
「そうだな。確か、中学時代の同級生とか聞いたけどな。彼女が芸能界を引退する事を決めたのって、この独立騒動が一理絡んでいるとか、そうでないとか…」
「何と…。でも仕事が干されたからとか、そういう事ではないだろうな」
「そうではないみたいだけど、純一は気にしているみたいだな。それか、2人にしか分からない秘密があるのかもしれない」
「2人しか分からない秘密?」
「…どういう事かは俺にだってわからない。でも、薄々高橋さんは感づいたのかもしれないがな」
 そこまで言いかけたとき、事務所の扉が空く音が聞こえたため、松本と藤崎は車外へ出てみると、高橋が慌てているかのように車へ乗り込むのが見えた。そして、急ぐかのように車は走り去っていった。
「何があったんだ?」
「分からない。そこは、ちょっと純一に聞いてみるかな」
 松本らは掃除し終えると、使った用具を片付けながら事務所へと入った。しかし、明かりが灯ったままの事務所には誰もいなかった。
「純一のやつ、トイレにでも行ったのかな」
 その時、事務所の隅に区切られている『応接室』から声がした事に気づいた。
『そんな…。勘弁してくれよ…』
 それに返すような声が聞こえないのは、相手が小声で話しているか、電話の向こうにいるからだろうか。
 話が終わったらしく、応接室から出てきた純一は、頭を抱えた上に複雑な表情を浮かべているのだ。そして、自分の机まで戻ると突っ伏してしまった。
「車両、返しに行かなくていいのか?」
「…少し経ってから、行くさ」
 その時、本所から青葉台交通に引き継ぐ事になった路線バスが営業所管内に入ってきた。その後、それらを運転してきたであろう運転手らが事務所へと入ってきた。名札を見ると、本所に属している運転手のようだ。
「そっちから電話も来ないし、車両を持ってこないから先に来てしまった」
「そうですか。申し訳ないです」
「こっちから持っていくのは、計8台ですね。あと3人くらい、運転してきてくれれば有難いが」
「分かりました」
 そこまで返事をした時に、藤本はおもむろに立ち上がった。
「…純一、大丈夫か?」
「ああ…。何とか大丈夫だ」
 藤崎が後から来たので、一応は揃ったようだ。本所の運転手らが一応の車両の確認をした後、受領書のサインを交わした。この瞬間、今まで青葉台にあった車両のうち2474号ら8台が、正式に本所の車両となったのである。
 そして、それは長く東海電気鉄道の路線バス営業所として機能してきた青葉台営業所の、事実上の閉鎖を示すものでもあった。
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