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● 時のメロディ --- 16,青天の霹靂 ●

「社名を張り替えるのも、なかなか大変だな」
 純一は、東海電気鉄道から引き継ぐ予定の路線バスとにらめっこしていた。今、営業に出ている車両の多くは、運行が終わってすぐに、本社の営業所へと回送される、この場所を離れて東海電気鉄道に残る車両たち。元々から新型車両に縁のない営業所であったこともあり、ほとんどが新しくもなく古くもない、親しみなれた形の車両が引き継がれることになっている。片隅には、車両不足を考慮して中古購入した路線車両も置いてあり、既に営業運転に出てもいいようになっており、走る出す時を今か今かと待っている。
「ついに来週からなんだな…」
 建物にある『東海電気鉄道青葉台営業所』の文字は、ハリボテに書かれた簡素なもので、だいぶ前につけられたものだ。道路に面した塀の一角には青いビニールシートにくるまれた立て看板が設置されている。既に移管の日が迫り、準備に奔走していたのだ。
「いよいよだな。これから、お前の経営手腕が問われるぞ」
「ああ。あまり、そんな事言うなよ。思いきり不安要素たまるよ」
 事務所から出てきた松本が、純一に声をかけてきた。
「藤谷所長は、移管の日をもって本社に引き上げだってさ。やっぱり、キャリアだったんだね」
「戻れば、何らかの役職が得られるだろうからな」
 何とか剥がした『東海電気鉄道』のビニールテープを、純一はビニール袋へ入れると、手元に置いておいたボトルコーヒーをひと口飲みながら言った。
「それに、取締役会から見れば、俺らは『可哀想な奴等』なんだろうな。本社の椅子に座って、威張りこくっているやつらには分からないんだよ」
 その時、事務所の中から無線連絡を知らせるベルが鳴った。純一が急いで事務所の中へ入ると、無線の機械を手に取った。
『青葉台営業所に。こちら2453号,高村』
「どうした??」
『神崎駅まで回送運転中、交通事故に遭遇。本車両も被災し、その場に立ち往生をしている。大至急、応援をお願いしたい』
「わかった。今の段階で、事故と道路の状況が分かるか?」
『本車両のすぐ前にいた白い乗用車が、青信号を確認のうえで直進し始めたところ、左側から猛スピードで来たワゴン車が信号無視して交差点に入ってきて、乗用車に衝突。その衝撃でとばされたワゴン車と本車両が衝突。救急車及び警察は手配済みです』
「了解。つかないことを聞くが、事故車両の車種とナンバー、分かるか?」
 まさかな…とは思ったが、聞いてみる事にした。連絡してきた高村から見れば、疑問に思ったかもしれなかった。
『ぶつかったワゴン車の方が、ナンバー神崎58、つの1850、白のトヨタアルファード』
「(1850…まさかな。)被害者側の車は?」
『乗用車の方は、ナンバー神崎33、しの3326、白い日産スカイライン、R33タイプ』
「(3326て、佐奈の車だ。まさか…)分かった。大至急、そちらへ急ぐ」
 純一は、いてもたってもいられなくなり、自分の専用車2442号のカギを取って、事務所を出ようとした。その時、それを松本が制止した。
「そんなに慌てるな。高村には怪我していないようだから」
「…何をそんなに、あわてる必要があるんだ??」
「そうじゃないんです。それは分かっていますけど、事故の当事者が、知り合いの車かもしれないんです」
 純一は、松本と藤谷に事情を話すと、自分の車で営業所を飛び出した。
 その後を追うように、松本は点呼をとってから、仕事上の愛車である路線バスの2447号車を運転して出発した。
「それにしても、藤本は相当慌てて行ったな」
「知り合いの車とか言ってましたね。違う人のだったらいいですけどね」
「そうだな。ましてや、来週には大きな船出の日だというのに、心配事を抱えたままというのは辛いからな」
「そうですね…」
 高橋が持ってきたコーヒーを受け取ると、一息つけて言った。
 事故現場近くの駐車場へと車を止めさせてもらうと、純一は現場へと急いだ。2台の救急車と、数台のパトカーが止まっており、事故車両の撤去が始まっていた。
「やっぱり、そうか…」
 積載車に載せる準備が行われているワゴン車は、純一には見覚えのある車両だった。
「俺の車が…」
 納車された当日に自宅まで乗っただけで、父親に取られてしまったアルファードだった。前面がつぶれて、フロントガラスもクモの巣状のひびが入っていた。修理するのにどれ位かかるのだろうか。それとも、廃車にしなければいけないのか。
「何てこった…まだローンとかもかなり残っているのに」
 その横では白い乗用車の検分が行われていた。その車は間違いなく、佐奈の愛車であるスカイラインR33だった。その傍で、交通整理をしている警察官に声をかけた。
「こっちのワゴン車のドライバーはどうなったんですか?」
「すみませんけれど、ご家族かどなたですか?」
「運転手は誰かは分かりませんが、知り合いかもしれないんです」
 警察官は不審そうに聞くと、手にしていた手帳をめくった。
「運転していたのは藤本竜二郎さんですね。それと、助手席にいた方は一応、軽傷なので救急車の中で治療を受けてもらいながら、事情を聞いています」
「運転手は間違いなく、私の父です」
「そうですか。大変申し訳ないですが、ご家族の方とご連絡取れませんか?」
「はい、分かりました」
 純一は携帯電話で自宅に電話をかけた。電話口に出てきた母親に理由を話すと、警察官に代わってもらい、いろいろ説明をしてもらった。
 その間、現場での検分を終えて積載車へ積み込まれるスカイラインを眺めていた。
「あの、あの白いスカイラインを運転されていた方は、大丈夫だったんですか?」
「スカイラインの方を運転されていたのは、石川佐奈さんですね。シートベルトは着用されていたので、大した怪我もされておりませんし、命に別状はないのですが…。まだ、意識は戻りません。一応、あっちの救急車の中で、怪我の治療を受けてもらいながら、受け入れ先の病院を探しています」
 2台連なって止められている救急車のうち、警官が指差したのは、前の方に止めてある方の救急車だった。
「失礼ですが、お知り合いの方ですか?」
「はい。昔からの友達です」
 友達と言って、間違いはないはずだ。ただ、昔からと言っても付き合いがない時期は長くあった。
 救急車の中へ乗せてもらって、患者が佐奈本人である事を確認すると、救急隊員から搬送する病院を聞いた。
「佐奈さんのご家族に電話をしてから、その病院に行きます」
 それだけ言った後、救急車から一度降りた。
 その背後から、けたたましいサイレンの音が鳴りはじめたかと思うと、佐奈を乗せたほうの救急車が病院へと向かって行った。
 純一はそれを見送ると、佐奈のマネージャーである田崎に電話をかけ、佐奈の実家の方にも電話をかけた。
 佐奈の実家とは、近所付き合いをしていたというわけではなく、納車を受けても収容しきれない『青葉台交通』用の車両を、営業所の隣にある空き地に駐車させて貰っていた。そこの持ち主となっているのが、彼女の父親なのである。
「車の事でお世話になっている藤本です。先ほど、佐奈さんが交通事故に遭われて、高倉記念病院の方へ運ばれました。怪我はたいしたことないそうですが、病院の方に来ていただきますように、お願いします」
 留守電になっていたので、そうメッセージを吹き込んだ。その後、営業所の方へと電話をかけたうえで病院へと向かった。その頃には、事故車両などは既に片付けられて、車の流れはいつものとおりに戻っていた。
 病院に着くと、救急外来の待合室に備えてある椅子へ腰掛けた。それからしばらくして、、田崎が病院に駆け込んできた。
「ルナが交通事故に遭ったって聞いたけど、今はどうなってる?」
「…救急車で運び込まれて、まだ外来から出てきません」
 その時、救急外来から担当の看護師が出てきて、藤本の名を呼んだ。
「藤本竜二郎さんのご家族の方、いらっしゃいませんか?」
「はい」
 純一がそっと立ち上がると、手前の方に座っていた母が同じタイミングで立ち上がると、外来の中へと入っていった。彼も後を追って、外来の中へと入ろうとしたとき、佐奈の両親が慌てて外来の方へ駆けて来た。
「純一君、今日は悪かったな。ところで、佐奈はまだ外来の中か?」
「はい。今日は石川さん…。本当に、申し訳ありません」
「…どうしたんだ?」
「佐奈さんを事故に遭わせたのは、僕の父親です。本当に申し訳ありません」
 抱いていた罪悪感が急にあふれ出した。深くまで頭を下げると、病院の床に涙が零れ落ちる。
「…君のお父さんが悪いのか。でも、純一君が頭を下げることはない」
 佐奈の父である石川隆三は、純一の肩をそっと叩いた。純一はそっと向き直ると、ポケットに入れていたハンカチで涙を拭った。
「起きてしまった事は仕方がない。佐奈が免許を取っていたことは知っていたけど、車を買って乗っていた事は、初めて知ったんだ。何故黙っていたのか…」
「…怒らないでやってください。佐奈さんも芸能界ではずっと努力してきたんです。車は、通勤とかで必要だったんだと思いますが、いざとなったら言えなかったんだと思います」
「そうか。ここは君に免じて、追求するのはやめよう」
 そのうちに、佐奈の両親が呼ばれて中へ入っていくのを見送ると、立ち尽くしていた田崎に声をかけた。
「…これでは、事務所の方も予定が狂ったんじゃないですか?」
「そうだな…。近いうちにCDを出して、最後のアンコールコンサートをやる予定だったからな」
「また、コンサートとかをやるつもりでいたとは…。でも、これで延期になるんじゃないですか??」
「そうかもしれないな…」
 そんな事を話しているうちに、佐奈の両親が出てきた。その後からは、片方に松葉杖をついて、佐奈が重そうな足取りで出てきた。足や腕の一部には包帯が巻かれてあった。
「大丈夫だった?」
「何とか…。急に横からワゴン車が突っ込んでくるから驚いたわよ。それにしても…」
「佐奈さんのスカイラインだったら、警察署で詳しく検分しているらしい。多分、直るとは思うんだけど」
「…痛い思いをさせちゃったな。R君には」
「R君…」
「…車のことをそういっているの。いつも一緒にいるパートナーといったら車くらいだから」
「そうなんだ…」
 怪我の程度はそれほど重くはないことがわかって少し安心した。そのうちに田崎が、佐奈の両親と挨拶を交わした後、佐奈となにやら話をしていたのが見えた。しかしながら、それを両親が聞いている中であったからか、少し重苦しいような雰囲気も少なからずあったが、いったい、どんな内容を話していたのかは純一は分からなかった。
 少し経って、彼女が両親とともに帰って行ったのを見計らうと、後を追うように田崎も病院を後にしていた。
「…やっぱり、言いづらいな」
 純一も、営業所に残した自分の仕事に気づいて、営業所の方へと戻った。
営業所に戻り、事と次第を報告すると、再び作業現場へと戻った。その日はずっと、佐奈のことが頭から離れなかった。
「悪いことをしてしまったな…」
 ただ、事故を起こす原因を作ったのは純一ではなく、父・竜二郎だが、どちらにしろ身内が起こした事なのだから、自分が起こしてしまったのと同じようなものだ。この事故に関して、佐奈の両親が怒らなかったことが、ほとんど奇跡といってよかった。ただ、佐奈本人は両親からその事実を聞いたかもしれないが、それを聞いて、どう思ったのかまでは分からない。もし、それで別れなければならないことになったら、その時には潔く諦めるしかない。
 夜になっても、純一はなかなか家に帰る気になれなかった。家に帰れば、車がないのに父親がいるだろうし、その顔を見たら、間違いなく殴りかかってしまいそうだった。しかし、父親のせいで怪我をしてしまった佐奈に、今は会いに行く気も起きなかった。
「…工場にでも行ってみるかな」
 営業所を後に、何台かのバスを取り寄せてくれた『神崎バス工業』へと車を走らせた。
 そこで、見慣れたバスが仮ナンバーをつけて、止めてあるのが見えた。事務所から工具を持った高倉が、駐車場に車を止めてこちらを見ている純一に気づいて近づいてきた。
「連絡もしていないのに、タイミングよく来たな」
「いや…。ただ、寄ってみただけだよ」
「まぁいいか。それより、お前の愛車だった2433号、これで走れるぞ」
 この場所へと運び込まれた時には、正気が失せたかのように色褪せていた車体が、新車と同様に鮮やかな色をとりもどし、いかにも走りだしそうな雰囲気がある。
「これ…走るのか?」
「ああ。同形式のドナーから、程度のいいエンジンを移植できたからな。走るに決まってるよ」
「よく、エンジンが手に入ったな。この車両に使えるエンジンも、そうないだろう」
「そこはな。うちはバスの修理や販売をしている工場だから、ツテはあるのさ。結構、廃車が出回っているし」
「夢にも思わなかった。この車が本当によみがえるとは」
「これで、白ナンバーの個人車にするか、緑ナンバーにするかは、お前が決めることだけどな」
「…とりあえずは、白ナンバーで登録するだろうな」
「そうだろうな。まあ、今日は動かすわけにはいけないけれども、懐かしい運転台に座ってみなよ」
 純一は、高倉に言われるがままに前のドアから車内に入り、運転台へと腰掛けた。
「運賃箱と運賃表とかは会社の要望で外したけど、車内はほぼ廃車当時のまま残してある」
 ハンドルを握った時、時の止まった2433号との時間が動き出すような気がしていた。生命の火を再び吹き込まれたこの車両を、再び自分の手で動かしたい。
「近いうちに、ちゃんとした手続きをとって、普通のナンバーを取得したほうがいいぞ」
「そうだな」
 2433号から外へ出ると、事務所の傍にある自販機から温かい缶コーヒーを2つ買うと、1つを高倉へと渡した。
「純一、今日は災難だったな」
「ああ…。加害者と被害者は両方とも、俺の身近にいる人だったしな」
「そうなのか?俺はワゴン車の方は分からなかったけど、白いスポーツカーの方は見覚えがあった。少し前に、その車が工場へとやってきたんだ。乗っていたのは若い女性だったかな。車から降りて、近くにいた工員に話しかけていたのは分かったんだ」
「若い女の人が…。何しにここへ来たんだろうな」
「…後で、その工員に聞いてみたら、普通の大型免許で運転できるのは無いですかって、探していたんだ。どの車両も 普通の大型で運転できますって言ったそうだけどな。あの時の車が事故して、映像で写ったんだから驚きだわ」
「そうだったのか。それにしても、佐奈がバスを買おうとしているのか…」
「あの白い33Rのお客さん、もしかして知っているのか?」
「聞いて驚くなよ。その人はアイドルの朝風ルナさん」
 そこまで話すと、純一はふっとため息をついた。
「芸能界を退いて、現在は大型免許の取得を目指して教習所に通っているとさ」
「…それ、誰から聞いたんだ?」
「本人から聞いた。それよりも前に、彼女のマネージャーさんから話を聞かされて、薄々知ってはいたんだ」
「何ともまぁ…」
 そこまで話すと、純一は缶に残っていた中身を一気に飲み干すと、ごみ箱へと投げ込んだ。
「事故ったワゴン車の方は俺の親父さ。酒飲んでいたか何かだろう」
「…相当痛い船出になるぞ。大丈夫か?」
「そうかもしれないが、会社設立を遅らせるわけにはいかないからさ。数日は会社の書類や車両面の準備とかしながら、東海電気鉄道の路線バス乗務員として走るさ。青葉台交通になってからは、社長兼バス乗務員になるんだけどな」
「社長になっても、まだバスに乗るのか」
「そりゃ、乗るさ。社長と名ばかりに、会社の椅子に座って威張っているようでは、誰にも信用されないからな」
「まぁ、頑張れよ。車両の整備面では、うちらは協力するからな」
 高倉と別れた後で家へ戻ると、家は真っ暗であった。それだけではなく、母の軽自動車もないのだ。
「どうしたのかな…」
 家へと入ると、ちょうど電話のベルが鳴った。
「もしもし?」
『今、帰ったの?』
 母が電話をかけてきた。
『お父さん、飲酒運転で逮捕されてしまってね。今は、警察署の方にいるのよ』
「やっぱり、逮捕されたのか」
 もはや、父には呆れてしまった。自分の車を勝手に乗り回された挙句の出来事だ。
 佐奈の両親には、事故の話に絡んで飲酒の問題が重なった現状となれば、多分許してはもらえないだろう。
『とにかく、純一は裁判とかの問題に首を突っ込まないでいいから、新会社の設立に向けて努力をしなさい』
 それだけ言うと、母は電話を切った。現状を見ると、一番辛いのは母のはずだ。それを気丈に振舞って、心配させないようにしている。とにかく、自分が親に出来ることといえば心配させないことだけだ。その日、母と祖母が帰ってきたのは夜遅くになってからだった。
「お父さん、酒を飲んでいたのと同時に浮気していたのよ」
「…えっ?」
「泊りがけで会いに行って、その帰りに事故を起こしたのよ。もう、弁明する事も出来ないでしょう。刑務所送りかね」
「…まったく」
「どうしたものかね…」
 母から聞いただけでも、かなり気が遠くなってしまいそうだ。
「…こんな夜遅いのに、起きているのは体に毒だよ。湯に浸かって疲れを癒して休んだほうがいいよ」
「そうするかね」
 祖母が湯に入ったのを見計らって、母は今から出て、祖母の部屋へと消えていった。
 純一は、父親に怒りたい反面で今までの感謝の気持ちがあった。その2つの気持ちの間で、どうすればいいかわからず頭を抱えた。
「どうすればいいんだ?もはや、静観するしかないのか…」
 その日は、布団に入ってもついに寝ることが出来なかった。
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