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● 時のメロディ --- 13,『Love Later』過去からの手紙 ●

 手に取ったカセットケースをカバンに入れた後は、そのまま運用をこなした。
 一日の仕事が終わり、純一は愛車のオーディオで、そのカセットテープを再生した。スピーカーから流れてくるのはピアノの音と、懐かしい愛美の声だった。
『純一君がこのテープを聞いている時、私は間違いなくこの世にはいないかもしれません。それとも、2人で昔を懐みながら聞いているかは分かりません。本当であれば、手紙で伝えることの方が簡単なのかもしれません。ですが、文字ではなく、声でメッセージを伝えるのに、病院の部屋の中で、テープにメッセージを吹き込んでいます。外はいい天気ですが、私は窓越しに景色を見ることしか出来ません。それは本当に寂しいですが、いつかは外に出て思いっきり外の空気を感じたいです。もし、それが叶わないのであれば、その時は…』
 テープから声が消えた。正確には、何かしらによってテープレコーダーの前にいた愛美が、声を発することが出来なかったのかもしれない。その間も、ピアノの音が空しく響き続けている。それからしばらく経って、彼女の声が再び聞こえてきた。
『私が海外留学から帰って来てから、音楽事務所での仕事をしていた時に、私に作詞を頼みに来た方がいました。初めて自分が認められたと思って、嬉しかったことは今でも脳裏に残っています。それから後も、私が作詞をした曲は、朝風ルナさんが歌うことによって世に出されました。私の詞が作曲家によって曲になり、それを舞台などで歌って、踊ってくれる歌手の存在…。もし、朝風ルナさんの歌に私を垣間見ていたのであれば、きっとその思いも分かってくれると信じています。私がこの世からいなくなっているとしても、純一君の心の中、或いは歌の中で生き続けてくれることを願っています。一度だけでも、朝風ルナさんのコンサート、一緒に行きたかったな…』
 テープを止めると、純一は気分が任せるままに車を発進させ、山の上にある月風展望台へと向かった。
 その車中、ラジオをかけると、朝風ルナの歌声が聞こえてきた。おそらく、リスナーの誰かがリクエストしたのを、スタッフがCDか何かを持ってきて流しているのだろう。彼女が引退コンサートを行った現在では、これからコンサートの企画などが行われること無いし、新たに新曲が発売されることも無いだろう。
「ルナさんの歌の作詞を、愛美がしていたなんてな…」
『…歌詞カードに書いてなかった?』
 どこからともなく声が聞こえて、何となく助手席の方を見ると、そこにはいないはずの、愛美の姿があった。
「いつからいたんだ?」
「純一君が仕事を終わって、会社を後にした時からだよ」
 ここにいる愛美が幽霊であるのは、純一にも分かっているが、急に現れたことに対して、あまり驚きもしなかった。
「…もしかして、テープを再生していたのも知っていた?」
「勿論知ってたよ。私がバスの中においていったから」
「やっぱり、あのテープの犯人は愛美だったのか」
「犯人て言わないでよ。ちゃんと乗客として、中学前のバス停から乗ったんだから」
「分かっているよ。でも、愛美の姿をバスの中で見たときには、少し驚いたがな」
 展望台までの道が、隣に愛美が乗っているだけでも短く感じられる。展望台に着く前から雨が降り出しており、傘を持っていない純一は、車の外に出て、景色を見ながら話をするどころではなかった。
「俺は、未だに…事実が信じられなくてな」
「なに?」
「…朝風ルナさんが中学時代の友達だったことだよ。未だに信じられなくてさ」
「それに気づいたのは病院だったんでしょ? 点滴打たれて眠っている彼女に添い寝してさ…」
「添い寝したのは別の…。どうでもいいや」
「ルナさんが純一君の片手を掴んで止めたから…でしょ?」
「そうだよ。でも、どうして、愛美がそんな事を知っているんだ?」
「…3年間、ずっと見ていたからかな。でも、こうやって姿を現したのは、テープをバスの中に置きに行ったのが初めてだったけどね」
「でも、どうして今まで黙っていたのさ…」
「私が伝えようとしても、その声が伝わらないと思っていたし、姿を見せられる事も知らなかったから…」
 ここにいる愛美は幽霊として現れたに過ぎないのだが、それなのに純一は全然恐怖すら感じなかった。
 もう会うことも出来ないし、話すことも出来ない筈なのに、今はこうして話すことが出来ることに、ひと時の幸せを感じていた。
「実はね。気づかなかったかもしれないけど…。中学時代も、同じ学校に通っていたのよ。目立たなかったけどね…」
「…中学から?」
「そう。純一君は知らなかったと思うけど、石川佐奈…つまり、アイドルの朝風ルナは、私と小学校の頃からの友達だったの。中学2年の頃、転校してきた男の子と佐奈が仲良くなってさ…。あの時、私は驚いたな」
「その転校生って…」
「私も今になって思い出したけど、それは純一君のことよ。あの頃の佐奈は地味で、人の頼みとかを断れなくて…。ある時に、佐奈が一人で教室を掃除しなければならなくなったときに、何気なく手伝ってくれた男の子がいたというから、誰なのかなと思っていたけど…」
 佐奈(朝風ルナ)のみならず、愛美までもが同じ中学に通っていたことを、純一は初めて知った。
「佐奈は大人びていてもの静かだったけど、少し病弱でね。今の彼女を見ても、ぜんぜん分からないでしょ?」
「そうだな。俺は佐奈さんよりもむしろ、高校の頃に出会った愛美の方が、病弱に見えたけどな」
「私のことはいいの。もう、終わったことなんだから…」
 車の外では、雨が強さを増して降り続いている。車のラジオからは、もの悲しい朝風ルナの歌声が音楽とともに流れてきており、外で雨の降る音と重なって、歌が奏でている寂しさを助長させている。
「佐奈が芸能界デビューする時に、プロダクションの社長が名づけて、それからずっと彼女は『朝風ルナ』という芸名をずっと、名乗り続けているの。本名を一切隠してさ…」
「やっぱり、そうだったのか…」
「佐奈が朝風ルナとして登場したら、一気にイメージが変わってしまったから、初見でわからなかったのも、無理はないよ」
「もしかして、3年前までルナさんの歌の歌詞を書いていたのって…」
「…私よ。今流れているのが、私が手渡した最後の歌。曲を書いた生前に、唯一聞くことが出来なかったけどね」
「…この歌って、愛美がルナに残した最後の歌詞だったのか」
「でも…本当はもうひとつ、朝風ルナ…じゃなくて、佐奈に渡せなかった歌詞があったのよ」
「…」
「その歌が、佐奈の歌声でCDになることは無いでしょうけどね…。本当は、歌ってほしかったけど…」
「…それは、全部書ききれなかったのか?」
「一応、書ききれたけどね。それを渡すことが出来なかったのよ…」
 そこまで口にした途端、愛美の声は沈みかかった。この雨の中に一台で佇む車の中が、こんなに寂しいものだとは思いもしなかった。
 今までにも何度か雨が降る中で一人で乗っていたし、今に限っては助手席に愛美がいる。それが霊である事は分かっていても、この車内に2人がいることには違いないのだが…。
「今、その楽譜は何処にあるんだ?」
「…お父さんが乗っていた乗用車の中だったけど、もう無くなっちゃったからね」
「俺が乗っていたあのクラウンか。もしかして、あのファイルって…」
「もし、純一君がその楽譜を持っているなら…」
 そう言いかけた愛美は、助手席から姿を消していた。車の外では相変わらず雨が降り続けており、一人だけの空間に漂う静寂な空気が、今の純一を支配していた。
「俺にしか、出来ない事…」
 純一は自宅へ戻ると、クラウンから降ろして自分の部屋に運んでおいた荷物類を全てかき回した。
 原稿用紙に書かれた歌詞が、楽譜といっしょにファイルに入っているのを見つけたのは、家へと戻ってきて10分後のことだった。原稿用紙には、懐かしい愛美の字が綴られていた。
「これか…」
 歌詞を見てみると、それは音楽に乗せて歌うことを考えなければ、親友だった佐奈へ充てた手紙のようであった。愛美がこの歌詞を、病気と戦いながら、同時に何を思って書いたのだろうか。
(…愛美が伝えたかった、この最後のメッセージを、愛美の代わりに伝えられるのは俺だけしかいない)
 翌日、純一は佐奈のマネージャーだった田崎に電話をかけた。
「ルナだったら、今日の午前中に退院したよ。やっぱり、疲労がたまっていたみたいでね」
「そうでしたか。昨日の早朝に病院を出てから今までずっと心配していたんですけど、よかったです」
「うちの事務所は、今までルナが稼ぎ頭だったからかな。結構スケジュールが詰まっていたんだ。これで、当面はルナ自身もゆっくり休めるだろう」
「それはよかったです。実はですね、ルナさんが今まで出した歌の詞を書いていた人から歌詞を預かっているんです。それを、どうするべきか悩んでいるんですよ」
「えっ? まだ歌詞があったのか。一度、うちの事務所と契約している音楽事務所の方に届けてくれないかな」
 その事務所の電話番号と住所を田崎に聞いた後に電話を切った。愛美が最後に書いたこの歌詞を、その音楽事務所に渡すのも抵抗があった。しかし、今はそうするしか手段はなかった。
「愛美はこの歌詞を通して、佐奈に何を伝えたかったのだろう」
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