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● 時のメロディ --- 11,思いがけない出来事(前編) ●

 朝風ルナが芸能界から引退する事を発表した一ヵ月後、青葉台営業所では新会社『青葉台交通』への移管の準備に追われていた。東海電気鉄道自動車部本体が、青葉台営業所と一部路線の廃止を発表後、本社に地元の行政とともに出向いて、路線及び営業所の継続を要請し、何回も会合を持ち調整を進めてきた。
 その結果、新会社を設立して、車両と路線を営業所ごと譲り受けた上での継続運行を認められたのであった。
 もう幾日も過ぎれば、東海電気鉄道青葉台営業所ではなくなるのだ。新会社『青葉台交通』の社長に就任する事になった純一は、同時に移管される数台の路線バス車両の名義変更と、青葉台交通独自で増備する事になった路線車両の整備を行っているのである。
 休憩するのに事務所に戻った純一は、午前中の運行を終えて、営業所へ戻ってきた松本に話しかけた。
「今回のことは本当に悪いな。お前にまで迷惑かけることになってさ」
「いいさ。俺だって、青葉台市の人たちのために、路線バスの運転手をやることを決めたし、本店で青葉台市を見捨てるんだったら、少しでも青葉台市の方に貢献したかったしさ」
「そうか。藤崎とかも、青葉台市の足を守るのについてきてくれたのかな」
「多分そうだな。よく、あいつらもついてきてくれたと思うよ」
 純一は、一度聞いてみたかったことを思い出すと、松本にそれを聞くことにした。
「なぁ、松本。自分が運転しているバスに、最低でも何人の乗客がいてくれれば嬉しいか?」
「…俺は6人くらいだな。走ったのが、結構住宅地路線が多かったかもしれないけど」
「そうか。俺は1人だけでも乗ってくれればいいよ。たった1人だけでも…。大事なお客さんだから」
「確かに、1人だけでもお客さんはお客さんだからな。でも、寂しくないのか?」
「俺は、そんなに寂しいとは思わないな。乗客が誰もいない時だったら、寂しくはなるかもしれないけどさ」
 そんな話をしていたとき、松本は、急に朝風ルナの話題を出した。
「朝風ルナさんのさよならコンサート、今日だったな。きっと、北沢もライブチケットやグッズを見ながら悲しんでるさ」
「そうだな。ルナさんのファンにとっては、寂しいの一言だろうな。絶対に来てほしくなかった日だろう」
「そう言うなよ。アイドル『朝風ルナ』の、最後で一番の晴れ舞台だぞ」
「…行くのに気が重いな。俺がルナさんとテレビに出ていたのを見たファンは、目の敵にしていそうだしな」
「大丈夫だよ。でも、ルナさんが直々に送ってきてくれたチケットなんだから、絶対、無駄にはするなよ。そのチケット、発売早々5分で完売したらしいから」
 純一は手にしていたチケットの価値を松本から聞いて驚いたが、その話を聞いたと同時に、思い出した事を話した。
「俺はさ、どうしてか知らないけど、ルナさんの歌を聞くと切なくなるんだよ」
「どうしてだよ。どの曲も元気にしてくれそうなくらい、明るくて陽気な歌じゃないか」
「そうだけどさ、あの歌詞を別の形で聞いたことがあるんだ。それを思い出すんだよ…」
「まさか、愛美さんがあの歌の歌詞を書いていたとでも言うのか?」
「…そうなのかもしれない。確信は無いけど、あの歌に愛美を垣間見るんだよ」
「考えすぎだろう。どうして、ルナさんと愛美さんが線でつながるんだよ」
「俺は、最近おかしすぎるな。なぜ、朝風ルナの歌に、愛美を見るんだか…」
 純一はコーヒーを2杯入れると、1つを松本に渡した。2人はそれぞれコーヒーを飲むと、それぞれの仕事を再び片付け始めた。
 仕事を進めていくうちに夕方となったが、一向に終わる気配は無く、時間は一刻と過ぎていった。純一が仕事を進める間にも、朝風ルナの最後のコンサートの開場時間が近づいていた。
「行くんだろ。ルナさんのコンサート」
「…でもさ、みんなが忙しく働いているのに、俺だけ抜けるのは悪いだろう」
「今日だって、本当は休みだったのに、休日返上して働くなんて、お前は真面目すぎるよ。とにかく、そのチケットを送ってきてくれたルナさんの気持ちを無駄にするなよ」
「…でもな、事の発端は本店に殴りこんだ俺が悪かったんだよ。俺が一番悪いんだから」
「だから、純一は鈍感なんだよ」
 急に松本の声が変わった事に、純一は慌てた。
「言わせて貰うけど、本店に殴りこんだのも、青葉台市に住んでいる乗客のためを思ったことだったんだろう?本店の上層部は知らないけど、青葉台市民の多くは廃止なんか望まなかったしさ。その声を一番聞いたのは純一だっただろう。俺は新会社に移ることは、別にいやでもなんでもないし、別に苦ではないよ。俺らと会社の問題は後で何とかなるけど、そのチケットだけは、今行かないとどうにもならなくなるんだぞ。会場では、これから最後の花を飾るルナさんが、どんな思いでお前を待っているのか、分からないわけが無いだろう?」
「松本…」
「とにかく、早くコンサート会場へ行けよ。今、行かなかったら、絶対に後悔するぞ」
「…分かった。後のことは頼む」
「いいから早く行けよ。コンサート会場のステージの上で、ルナさんは純一を待っているんだからな」
 松本が仕事に戻るのを横目に、純一はチケットとかを持って営業所を出て行った。コンサート会場まで来ると、朝風ルナのグッズなどを持ったファンたちで溢れかえり、開場時刻を待っていた。
 純一は売店に行くと、ペンライトなどを手に入れてその列に加わった。開場時間となって中へ入り、チケットで指定された座席へ座ると携帯電話を確認した。
『もう会場の中に入りましたか? 』
 そのメッセージを見ると、返信のメールを打ち、携帯電話をマナーモードにしてバッグの中へと入れた。そして、曲がかかり始めると、ファンの熱い声援とコールが響き、ルナがステージへと上がってきた。
 コンサートの最中、他のファンの熱気に押されて、声を出すことが出来ずに、ただ彼女が歌っているのを見守っているしかなかった。
 このコンサート会場に来ているファンたちは、ルナが引退しないで欲しいと、心から願っているだろう。最後に挟まれた休憩時間の中、携帯電話がメールの着信を告げた。そのメールの送り主はルナだった。
『会場に来てくれて、ありがとう。最後に、朝風ルナのわがままを聞いてください。コンサートが終わったら…』
 そこまで見たとき、ステージに曲が流れ出した。純一は急いで携帯電話をポケットにしまうと、再びステージに立った彼女に目を向けた。ラジオを通して何度も聞いたことがある曲なのに、今の純一には歌声も何もかもが耳に入らなくなっていった。確実に迫っているコンサートの終演に、純一の心は次第に重くなっていった。
 なぜ、こんなに心が苦しいのかが未だにわからないまま、コンサートはついに終演を迎えてしまった。ルナがステージからいなくなり、ステージの明かりが消えると、終演を告げる無常のアナウンスが流れた。
 そして、コンサートを見に来た観客たちは、名残惜しそうにコンサート会場を後にしていた。その中で純一は、会場の座席に一人座り続けていた。休憩時間に届いたメールが、いまだに気になってしょうがなかった。
「最後のわがままって、いったい何なのだろうか…」
 その言葉の意味を確かめたくて、純一は待ち続けていたが、次第にいたたまれなくなっていき、会場を後にしようと座席を立った。
 その時、再びステージに明かりがついた。
「ステージを片付けるスタッフの人たちだろうな…。あのメッセージは、きっと嘘だったんだ…」
 それでも気になって、ステージの方を見ると、誰かがステージに上がるのが見えた。
 純一は、スタッフが片付けにきたのだろうと思っていた。だが、ステージの上に立ったのはスタッフたちではなく、終演の時とは違う衣装を身に付けたルナだった。その手にはマイクが握られている。
「…待っていてくれたんですか?」
 背後から純一の肩をたたく人がいた。観客のいなくなった会場を見回りに来たスタッフだと思い、振り向いてみると、そこにいたのはスタッフではなくて、ルナのマネージャー、田崎だった。
「藤本君、ステージの上にどうぞ。ルナが待っていますから」
「…待っている??」
 戸惑いを隠せないまま、田崎に促されるがままに、純一はステージの方へと向けて歩き出した。
 これまで、純一は様々な場所で、朝風ルナの表情や姿を見てきたが、ステージに立った彼女は、本当に住む世界が違うかのような印象すら与えた。
「…ルナさん、なぜ僕を、このステージに??」
「ルナさんなんて呼ばなくてもいいの。もう、朝風ルナは今日で終わりだから…」
 純一は返答を返すことが出来なかった。ただ、目の前にいるルナを見つめるしかなかった。
「朝風ルナの最後の思い出に…私とデュエットソングを一緒に歌ってくれませんか?」
 突然、彼女の口から出た、デュエットの頼みには慌てふためいた。誰も観客がいないとはいえ、彼女とコンサート会場でデュエットするなんて荷が重い。
「そんなに歌は上手じゃないのに」
「ダメですか?」
「…そういうわけではないですけど、ルナさんが期待するほど上手ではないし」
 田崎が現れて、純一の手にマイクを手渡しながら言った。
「ルナは、純一君にずっと惚れててさ。あの貸切バスだって、彼女が社長に直訴して、ロケバスの運転手に君を頼んだのさ。車は二の次でな。ロケの時だって、手を繋いで一緒にレポートの収録したときも、ルナが頼んで収録に君も出てもらったんだよ。これは嘘なんかではなく、本当の話なんだ。純一君がどう思ったかどうかは分からないけど、彼女の気持ちを分かってほしい。そして、これからルナを支えていってあげてほしい。マネージャーではなくなる俺のためにも」
 そういうと、田崎が自ら頭を下げたのだ。純一は言葉を返すことなくマイクを受け取った。
「本当を言うと、僕は芸能人は好きではないんです。でも、あそこまで純粋な気持ちをこめて歌い続け、テレビやラジオとかを通して、多くの笑顔や元気をプレゼントし続けた彼女の気持ちは、痛いほどよく分かります。本当は僕が自ら頼んででも共演してみたかったし、近づいてみたかった。今の僕に、ルナさんの気持ちを、受け止めない事なんて出来ません」
 そう田崎に話すと、ルナの前へと立った。そして決意を固めると、本当の気持ちを返した。
「本当だったら、僕から頼みたかったところだけど…。よろしくお願いします」
「…本当に、嬉しいです…」
 ふと、彼女を見るとうっすら涙を浮かべた。純一は彼女の頬にそっと手をやると、その涙を拭うしぐさをしていた。
「泣くことないのに。俺は少し涙に弱いんだよ」
 彼女は少々うつむき加減だったが、そのデュエット曲が流れ出すと再び明るい笑顔に戻っていた。
 そんな中で流れてきた曲は、純一自身も知っている歌だった。高校生の時に愛美と出かけた時、カラオケボックスに入ると、よく2人で歌った曲だったからだ。
「この曲…」
「私もデュエットソングで思いついたのは、この曲しかなくて…」
「何か、偶然ですね」
 観客のいないコンサート会場。会場の片付けを除いた、全ての仕事を終えてコンサート会場に入ってきたスタッフは、主役であるルナと、彼女とバラエティ番組で共演していたロケバスの運転手が、一緒にデュエット曲を歌っている事に驚いていたが、その綺麗な歌声に耳を傾けていた。
 曲が終わると、聞いていたスタッフたちから拍手された。そして、彼らはそれぞれ会場の片付けに入った。
 その後、純一は、ルナと2時間後に再び会う約束をして、一旦会場を後にした。
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