●● 時のメロディ番外編『最後のコンサート』 --- 1,災難続き ●●
「また、やられたのか…」
「はい。本線を神崎駅方面に走っている最中に」
傷がついたバスを前に、乗務していた運転手から、純一は話を聞いていた。東海電気鉄道が廃止した青葉台営業所管内の路線バスを引き継いで開業した青葉台交通は、発足から数ヶ月の間は様々なトラブルなどに見舞われており、どの路線バスも何処かしらに傷をつけて帰ってきた。運行途中に止まってしまう車両も少なくない状態で、交代要員として事務作業などを行っている運転手がフル出動する事も少なくは無かった。
「本線は怖いよ。あれだと…」
「やっぱり出たのか。怪しい奴ら…」
「出たよ。大型トラックとか使ってさ…」
乗務から戻ってきた運転手は皆疲れていた。傷をつけて帰ってくる原因は運転手らにはなく、全てが外部からの意図的な『当て逃げ』だった。知り合いの業者を何度も頼んで修理する事もしばしばだったが、治まる気配は一向にない。
「これでは、まともに運行できませんよ社長…」
「…本部から妨害されているんだろうけど、どうすれば手を打てるか」
青葉台交通の社長である純一は、被害を受けた運転手から、事故当時の状況などをいろいろと聞いたりして、出来る対処方法などを考えていた。本音ではいつか仕返しする事も考えているのだが、それを実行に移したら、それ以上の問題を起こすことになりかねない。とにかく今は、相手の出方を見たりしながら、時が解決するのを待つしかなかった。
「とにかく、今回のはお前のせいじゃない。まずは事務所で休んで、気を落ち着かせな」
「はい…」
落胆する運転手を気遣いながら事務所へと入る。そこには同僚の運転手の数人がおり、事務作業をしているのもいれば、何かをしゃべっているのもいた。
「どこの路線でやられた?」
「俺は本線。操業していないはずの工場くらいから急にトラックが出てきてな」
「2日前だけど、俺は城戸崎海岸線だよ。温泉街走っているときにやられた」
「どの路線もドル箱のところか…」
話している内容を少し聞いてから、2人は会話に加わった。
青葉台交通の数少ないドル箱の路線に関して、東海電気鉄道自動車部から再三にわたって、譲渡を要求する旨の書類が送りつけられてきた。そういうドル箱路線を抱えても赤字スレスレで自転車操業の運行が続いているのに、その路線を譲ってしまえば赤字転落は避けられないのだ。そのたびに書類を突っぱね続けているうちに、いつしか妨害行動が多発するようになった。発足当初より神崎駅から青葉台駅までの路線については共同運行扱いとしたのは、あらゆる意味での妥協策でもあった。しかし、どのような策を講じても、一向に妨害工作が収まる気配は無い。
「何とか手を打たないと…」
現行では親会社である東海電気鉄道が、子会社に対して運行妨害を続けるという異様な状態は、地域住民から問題視されていた。発足から3ヵ月後には神崎駅及び青葉台駅のバスターミナルから締め出されて、青葉台交通のバスは発着できなくなった。既に共同運行の扱いは解消し、それまでに担当していたダイヤのみを引き継ぎ、独立した路線として運行を行っている。
停留所の面では、青葉台市などが用意してくれた市有地を借りて発着場を設けて、急場をしのいでいた。
「地域住民から信頼されても、今の俺らは必要なのかも分かりませんね…」
「そういう事を言うなよ。俺らだって、寂しくなるじゃないか…」
地域住民からは信頼されていても、嘗ての仲間から敵視されている現状の間に立っている状況下、路線バスのハンドルを握る運転手たちは、何かと暗い話になってしまうことがあった。そんな彼らを元気付けてくれるのは、ある人気アイドルの歌声であり、存在であった。
「テレビをつけても構いませんかね?」
「ん?何か見たい番組でもあるのか」
「そういうわけではなくて…。朝風ルナさんが番組に出るんですよ」
「そうか! こりゃ、見なきゃな」
疲れきった運転手たちを元気づけたのは、テレビやラジオから流れてくる朝風ルナの声だった。芸能界から引退する事を発表してから数ヶ月経った現在も、何かしらの番組で彼女の映像などを見ることはあった。
「CD発売記念のサイン会があるんだけどさ、行ってこようかな」
朝風ルナの大ファンである北沢たちは、そういうイベント情報をどこかしらで仕入れてくる。それに、デビュー当時からCDや写真集とかも全て買い揃えているというから驚きだ。
「俺らでは、ついていけないな」
「…全くだ」
青葉台交通が独立する前、まだ東海電気鉄道青葉台営業所だった時、純一は朝風ルナが進行役で企画された番組のロケで、出演者たちが乗ったバスの運転を担当したことがある。しかし、彼はロケバス運転のスタッフというだけではなく、案内人として共演までした。現在ではプライベートで親交があるだけではなく、恋人同士でもあった。
「それに藤本さんは、ルナさんと中学時代の同級生だったからね」
事務員である高橋が、事務所にいる全員分のコーヒーを淹れてきて、職員らに配りながらついつい口にした。少なくとも、その事実を知っているのは純一と朝風ルナ、そして純一が何気に話した松本と高橋以外にはいない。
「本当かよそれ?」
朝風ルナがテレビに登場するまで、純一は質問攻めにあってしまった。
『今日も始まりました、木曜夕方にお届けする情報バラエティ。今日はゲストに朝風ルナさんを招いてお届けいたしますよー!』
北沢らは既にテレビに釘付けだ。純一と松本はテレビを見る気も起きないので、事務所から車庫へと向かった。
「結構、長引いているな」
「そりゃ、そうだろうな。佐奈…もとい朝風ルナは、桜崎プロダクションにとっては大事な稼ぎ頭だったし、最後のCDを出してからまだ数日だろう。最後の一年…みたいな感じで、まだ仕事が入っているんじゃないかな」
「でもさ…。何か、うそにならないか?」
「引退会見やったからといって、どの人もすぐには引退しないだろう。まだ当分はテレビとかに出て…」
「…ファンや今まで支えた人たちに長い時間をかけて、別れの挨拶みたいなことをするのか」
「そうかもしれない」
2人は傷つけられたバスにとりあえずの修繕措置をしていた。純一は一応社長ではあるが、他の運転手たちと混ざってハンドルを握っている。
「それにしても…。いつまで、本部と小競り合いを続けることになるんだろうな」
「どうだろうな。行政の人たちも、ある程度の手を打ってくれているらしいんだけど…」
それから20分後、夕方ラッシュ時から最終便までの運行へ出るため、純一は運行表と愛車のカギを手にとって事務所を出た。そして、愛車である路線バス2442号のエンジンをかけると本社を出発した。
朝方とは違い、今度は会社や学校から帰る乗客が多数を占める。たとえ休憩時間を挟んでいるとしても、朝から連続で夜まで乗務させるのは気の毒だと、夕方から最終便にかけて運行してから仮眠を前提とした休憩を取り、翌朝の始発便から朝ラッシュ時の運行を行うという勤務体制を設けた。夜から朝までの休憩時間が非常に長いため自由時間としてあるが、これは朝の始発便までに準備を整えて運行さえすればいいという緩和した規定だ。ただし、業務に関する追加手当てだけは少ないのだが。
『このバスは、神崎駅行でございます』
自動放送を流しながら、青葉台駅前にあるバスセンターに待機していた。並行して走る鉄道線と利用客はどっこいどっこいだが、完全に利用客が少ないわけではない。むしろ、締め出された関係でバスセンターを新たに開設した事が『災い転じて福と成す』というわけではないが、幸いにも城戸崎海岸や双海市の方へ行く乗客のほとんどが、青葉台交通のバスに乗ってくれる。沿線に温泉場や観光地のある路線は、どの会社から見ても魅力的だ。東海電気鉄道の自動車部が青葉台営業所と多くの路線を廃止しようとさけんだ時に、この路線が廃止対象にならなかったのかが、改めて理解できる。
「この状況なら、本部がこの路線を欲しがるのも分かるな」
青葉台駅から神崎駅へ行く路線だが、城戸崎海岸方面からの乗換客の影響もあってか、青葉台駅を出発する前から車内に空席はなく、立ち乗車の乗客が目立っている。
『本日も、青葉台交通をご利用くださいまして、ありがとうございます。このバスは神崎駅行でございます』
自動放送が流れ終わってから、発車準備を整えて扉を閉める。
『ドアが閉まります。お近くにご乗車の方はご注意ください』
ドアが閉まった後、一呼吸の間をおいてバスを動かす。その際にも、車内の乗客に注意を促す放送を自分でする。
「発車いたします。お立ちのお客様は、つり革か手すりにお掴まりください」
道路へ出てしまえば、どこから何が出てくるかも分からない。車内の乗客に気を遣いながらも、前方などに気を配らなければならない。それに、妨害行動を起こすのであれば、交通量が比較的少なくなる夕方や夜辺りを狙ってくることも十分考えられる。
『次は…伊吹、伊吹でございます』
自動放送で次の停留所を案内し、降車ブザーの音やバス停までの道路を確認しながら、目的地である神崎駅前ターミナルへと向かう。
「やっぱり…昼間と違って、夕方辺りになると心細くなるな」
ハンドルを握りながら、そういうことを考えていた。昼間では人の行きかう光景が当たり前の町中でも、夜になれば閑散として静かなものだ。走る車も昼と比べれば少なく、渋滞や信号にさほど引っかからなかったため、ほぼ時間通りに運行を続けていた。
『次は…高倉記念病院前、高倉記念病院前でございます。お降りのお客様は、お近くのブザーでお知らせください』
ピンポーン…降車ブザーが押され、運転席にあるランプに停車の文字が光る。
「次、止まります」
バスが病院前へ付く直前、慌てて道を走っている人に気づいた。追い越す前にバスに気づき、しきりに手を振っているところを見ると、乗車する意思表示だろうか。
「高倉記念病院前でございます。ご乗車有難うございました」
バスが止まったのを確認すると、乗客が何人か席を立って歩いてきた。純一は乗車用の中扉と降車用の前扉の両方を開けた。運賃箱に整理券とお金を入れて降りていく時、純一は「ありがとうございました。道が暗いですから、お気をつけて」と声をかけた。少数の人ではあるが、運賃箱へお金を入れるときに「ありがとうございました」と言って降りていく乗客もいた。降車客が降りたのを確認して、前扉を閉める。
「…すいません!!」
さっき走っていた人が慌てて飛び乗ってきた。
「席が空いておりましたら、お座りください」
飛び乗ってきた乗客に、マイクで声を掛けると、改めて車内を見渡し、乗客が座ったかを確認する。
「発車いたします、ご注意ください」
再びマイクで声をかけると、中扉も閉めてバスを発車させた。
「お待たせいたしました。神崎駅行でございます」
乗車する乗客があったら、発車後にマイクでそういうクセをつけていた。車内に入ると、案内表示は次のバス停名と運賃表に表示されるだけで、行き先を確認できない。おせっかいであるかもしれないが、乗客に出来る運転手の気遣いはそういう部分がほとんどだ。
神崎駅前にあるバスターミナルへ到着すると、ここまで乗ってきた乗客は降りてゆく。そこから神崎駅まで歩き、東海電気鉄道の路線バスや電車に乗り換える人はいる。明らかなデメリットと言えば、乗り入れていた時代と違って、神崎駅前ターミナルでは乗換が不便なところだろう。
「せめて、こっちは乗り入れさせて欲しいな…」
折り返し時間を待ちつつ、道路を挟んでほぼ真向かいにある神崎駅を眺めた。営業所時代から青葉台交通となって数ヶ月経ち、締め出されるまで使用した乗り場は、今やタクシーの待機場として機能している。
「きっと、うちらが締め出されたことは、タクシーにとっては福音だったろうな…」
本来はバスの発着するはずの場所に何台ものタクシーが連なって客待ちをしているのを眺めているうちに、電車から降りてきたであろう何人かの客がタクシーに乗り込み、駅を後にしていた。
『このバスは、神崎駅発青葉台バスセンター行でございます』
自動放送を流して待機するうちに、何人かの乗客が乗ってきた。発車時刻になり出発しようとした直前に、2人の乗客が慌ててバスに駆け寄ってきた。
「お待たせいたしました。青葉台バスセンター行、発車いたします。バスが動きますので、ご注意ください」
自動車の通り過ぎるのを見て、タイミングを計りながら駅前の乗降場を出た。青葉台駅からの便とは違って空席も目立っている。
『本日も、青葉台交通をご利用くださいまして、ありがとうございます。このバスは青葉台バスセンター行でございます』
自動放送を流した後は、バス停などに気を配りながら進んでいく。
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