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● 時のメロディ --- 20(終),『あれから』 ●

20,(最終章),『あれから』
「城戸崎海岸?これから、俺らが行くところだろう?」
 神崎駅のバス乗り場で2人の少年がバスを待っている。この日は夏の日差しが眩しく、とても暑い。
 この2日前、彼らはそれぞれの彼女を合わせた4人で海水浴へ行こうと計画を立てていた。この駅を集合場所として、ここからバスへ乗っていこうと決めていた。
「そうだよ。実はあの海岸には、面白い伝説があるんだ」
「伝説? それは知らないな。むしろ巷では、美人のバス運転手の噂を結構聞くけどな」
「…そんな噂ないだろう。何処にでもある普通のバス会社なのに」
「話を最後まで聞けよ」
「何だよ…」
「お前はさ、朝風ルナってアイドルを覚えているか?」
「知ってるさ。ルナのCDは1枚目からフルコンプしたし」
「実はさ。その運転手さんが、朝風ルナに瓜二つの美人らしいぞ。本人だという一説もあるけど」
 少年たちが2年前に引退した人気アイドル『朝風ルナ』の話をしていたとき、一台のバスが神崎駅のバス降車場へと入ってきた。
「ありがとうございましたー」
 バスを降りていく降りていく乗客一人ひとりに、運転席から挨拶するのは、青葉台交通の女性運転手だった。乗客全員の降車を確認してドアを閉め、バスが止まっている先にある横断歩道を、乗客らが渡り終えてから、降車場から引き上げて、すぐさま乗り場へと入ってきた。行き先表示機には『青葉台駅・青海温泉経由城戸崎海岸行』と表示されている。
「このバスか?」
「そうだな」
 乗車扉が開き、自動放送が流れ始めると同時に、降車用である前のドアも開いた。そこから運転手も降りてきて、手にしている腕時計で時間を確認すると、駅の売店へと歩いていった。
「すいませーん。コーヒー1本ちょうだい」
「はいよー。運転手さん、元気いいじゃないの」
「ええ。元気が取り柄ですから」
「いいわね。若い人たちというのは元気があってね」
 店員がビンのコーヒーを冷蔵庫から出してふたを開けた後、運転手がお金を渡し、コーヒーを受け取って飲み始めた。 それを店員が見ながら、何気なしに話しかけた。
「それにしても運転手さん、青葉台交通の社長夫人じゃないの。社長さんも、同じようにコーヒー飲んで行ったわよ」
「本当ですか??」
 売店でコーヒーを飲んでいる運転手は、芸能界を引退した元アイドル『朝風ルナ』だった。彼女は芸能界引退後、中学時代の同級生で、青葉台交通の社長である藤本純一と結婚し、本名が石川佐奈から藤本佐奈に変わっていた。
 そして、彼女も夫・純一と同じ青葉台交通のバス運転手になっていた。会社の署名上は、代表取締役副社長という肩書きも加わっている。
「夫婦揃って、やることが似ているわね。朝のひと段落したときに、此処でコーヒー飲んでいくのって」
「そうですか? それに今日は暑いですから、ついつい飲みたくなっちゃうんですよね」
「佐奈さんが、朝風ルナとしてアイドルをしていたのが、つい昨日のことのように思い出されるわ。芸能界引退して、もう2年経つのに…。アイドル時代から、全然スタイルが変わらないのね。いつ見ても綺麗だわ」
 そんな会話が響くが、乗客らのしゃべる声や、電車の音とかでかき消されてしまう。

 一緒に行くはずの彼女2人がなかなか来ず、時計と睨めっこしながら待っていた。外で待っていたら、否応無しに汗が吹き出てくる。
「…バスの中で待ってようか」
「そうしよう。外で待つのも熱いしさ」
 少年2人はバスに乗り込むと、乗車ドアから近くにある2人がけシートを2席確保した。
 まだエンジンが止まったままとなっている車内はさほど涼しくないが、外と比べれば過ごしやすい。
「まだかな…」
 車内にいた乗客の少年が1人、外へ出て、しきりに辺りを気にしている。
 バスのエンジンがかかったが、まだ彼女ら2人の影も見えない。
「どうかなさいましたか?」
「いや…。連れが後2人いるんですが、なかなか来ないもんで慌てているんです」
 さっきから、挙動不審な乗客がいるなと思っていたのか、運転手は発車時刻が経っても発車せずに、いったん外へ出て、その少年へと話しかけた。この地点で、乗客は少年2人しかいなかったため、気を利かせたのだろう。
「この駅で待ち合わせて、このバスで行くことにしていたんですけど…」
「そうなんですか。きっと、おめかしするのに、時間がかかっているのでしょう。その2人が来るまで待ちますよ」
 少年がため息をつきながら、運転手と話しているうちに女の子2人が駆けてきた。何とか急いで走ってきたらしく、息切れしていた。
「ごめん、遅くなっちゃって」
「次のバスにしようと思ったよ。運転手さんが、待ってくれたからよかったけどさ」
「今度からは、早めにご乗車くださいね。すぐに出発しますよ」
 そう言うと運転手は車内へと入って行き、あとの3人が乗り込むと、扉がしまって、バスは駅を後に、目的地である城戸崎海岸へ向けて走り出した。
『お待たせいたしました。青葉台交通をご利用くださいまして、ありがとうございます。このバスは、青葉台駅、月風展望台、青海温泉経由、城戸崎海岸行でございます』
 放送アナウンスのテープが流れている時、一人が料金表示機に付けられたネームプレートに目をやった。
『みなさまを、今日も笑顔でご案内します。 この車両は運転手 藤本佐奈 が運転しております』
(どおりで、あの運転手さんに見覚えがあると思った)
 1人で何かに納得している少年に、後の3人が尋ねた。
「何を納得しているの??」
「いや…。今日のうちらはラッキーだったな」
「どうして?」
「この車両の運転手は、よく噂に聞く美人運転手じゃん。しかも元芸能人」
「えっ…?? 誰だっけ」
「だから…。元人気アイドルの朝風ルナさん」 
 バスがしばらく走った後に停留所へ止まり、中扉から乗客が乗ってきた。
「お待たせいたしました。城戸崎海岸行でございます」
 マイクを通して、このバス停から乗る乗客に案内の放送をすると、乗客が全員乗ったことを確認してドアを閉める。
「発車いたします。ご注意ください」
 雲ひとつ無い青空の下を、アイドルから転身した運転手・佐奈がハンドルを握る路線バスは、ゆっくりと再び、乗客を乗せて走り出した。 FIN
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