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● 時のメロディ --- 1,最愛の人を亡くしたバス運転手 ●

『あれから何年過ぎたのだろうか…。』
 路線バスの運転手である藤本純一は、ふと空を見上げながら考え事をしていた。それは、三年前に亡くした恋人『相澤愛美』の事であった。既に長い年月がたっているかのような気がしているが、気がつけばまだ最近の出来事のように脳裏に記憶がよみがえる。
『…遠い昔のような気がするけど、つい最近のことだよな…。』
 営業所へ戻ると、長年の親友であり同僚でもある松本隆次が声をかけてきた。
「なぁ、3日後に合コンがあるんだけどさ、一緒に行かないか?」
「また合コンかよ…いい加減懲りろよな…何回撃墜すれば気が済むのさ…」
「純一さ、付き合いが悪いぞ。せっかく誘っているのにさ」
「悪いな。全然行く気がしないんだよ。事情が事情だからさ…」
「お前なぁ、いい加減愛美ちゃんのことは忘れろよ。いい女の子は結構いるだろうしさ」
松本が軽く言うと、純一は逆鱗に触れたように怒り出すと、松本の胸倉に掴みかかった。
「…てめぇ、全然わかっていないくせに、いい加減な事いうな!!」
 純一が松本にパンチを浴びせた。松本が仕返しをすると、それは避けられてしまった。同僚が止めに入っても、一向にどちらも攻撃態勢も緩めはしなかった。
「ったく、急に何すんだよ!!」
「お前も、少しは言う言葉を考えろ!!」
「何だと?人がせっかく心配してあげてるのに、その言い草は何だよ!!」
 純一を急に2人の同僚が抑えだした。
「純一、一発殴られないと、分かんないのか?」
 松本の背後にいた藤崎が、松本の前に出てくると拳を握り締めた。
「気持ちというのは、そう簡単には変えられるものではないのさ。そんなに単純には」
「本当にムカつく奴だな…。これでも喰らえ!!」
 藤崎が殴りにかかってきた。純一はすぐさま、抑えている同僚の手を振り払うと、横に避けて、膝蹴りとパンチを喰らわせて、藤崎を床に倒した。その場に倒れて悶絶している藤崎を見下ろすと、純一は諭すように言った。
「お前も、少しは物事を考えろよ。そんなだから、知り合った女の子に逃げられるんだよ」
 純一はそういうと、腹を押さえてうずくまる藤崎に背を向けると、改めて松本の方を見た。既に双方とも攻撃態勢ではなくなっている。
「…わ、悪かったよ」
 松本のほうが先に謝ると、純一は静かな口調で謝った。
「…俺の方こそ悪かった。」
 そして、純一は息を直すと、諭すように言った。
「でもな、友達とかと一緒にいる時、他人にその友達の悪口を言われたらどう思う?」
「いや…そりゃ、怒るだろうな」
「それと同じことだよ。とにかく、むやみに干渉されたくないんだ。わかってほしい」
そう言うと、純一は営業ダイヤの表とバスの鍵などを持って、事務所を出て行った。
「ったく、純一の野郎…今度あったら、袋たたきにしてやる」
「やめろよ、藤崎。さっき、不意打ちにあいつを殴ろうとしたお前のほうが悪いぞ」
 腹を押さえて立ち上がった藤崎に、松本は冷静になって言った。
「それにしてもさ、純一も冷たすぎるよ。せっかく誘ってあげているのにさ」
 とっさに、純一の止めに入った同僚の北沢が言った。
「仕方ないよ。あいつの負った心の傷は、到底俺たちではどうにもならないんだから」
 純一とは気の知れた友人である松本の意見であっても、納得できない藤崎は反論した。
「いや、あいつが立ち直ろうとしてないだけだ。あんな奴の何処を庇うんだよ」
「それは違うぞ。お前ら、同僚の気持ちがわからないのか?」
「あっ藤谷所長…」
 藤谷は、この青葉台営業所の最高責任者だ。偶然通りかかったのだが、松本達の意見を聞いて、意見を察した所長は、諭すような口調で言った。
「お前らは、藤本が持つ、その相澤さんに対する気持ちとか考えたことがあるのか?」
高校1年のときに純一は愛美と付き合いだした。その関係は卒業後もずっと続いていたのだが、三年前に永遠の別れをしてしまったのだ。その落胆を今でも純一は引きずっていた。
「それくらい長い時間一緒にいたんだったら、気持ちが拭えないのも無理はないだろう」
「えっ…まぁ、そうでしょうね」
「それに、あまり人に考えとかを押し付けるよりは、そっとしておいたほうがいいだろう」
 松本は、純一の気持ちを知らないわけではない。何とか立ち直れるようにきっかけを作りたかったのだ。しかし、それが余計なことになっているのではないかと言われて思った。そして、所長は時計を見ると、営業所を早く出るように言った。
「わかっていれば、それでよし。そろそろ出庫しないと、第15番ダイヤが遅れるぞ」
「えっ…えーっと、第15番のダイヤが神崎駅を9時30分だから…」
松本が時計を見ると、9時ちょうどをさしていた。30分前に純一は営業所を出ていた。
「あっ…そろそろ行かないとまずいですね…本当に」
「わかっているなら、早く出発しろ。この頃の成績、藤本から引き離されているぞ」
「えっ…はい、それでは行ってきます!」
 松本は、慌てて事務所を出ると、自分が担当するバスに乗り込んで営業所を発った。その後、腹を押さえている藤崎の代わりに、北沢がバスを出して出庫して行った。
 乗客を乗せるため、駅へ向かう。純一の担当する車両は、他の同僚が運転する車両と比べれば古い車種である。晩年予備車として青葉台営業所で埃を被っている路線バス『2433号』に目を向けたのは、路線バス運転手として採用され、この営業所へと配属されてきた純一だった。
 元々は自動車整備の仕事もしていたために、路線バス運行の傍らで、2433号の整備を開始。外観などを新車同様に整備してから、通常営業用車両として、純一が乗務するようになっていた。
 駅までの道中に緑が生い茂る道を通りぬけて、かつて自分が通った青葉台高校のあった空き地の前を通り過ぎた。現在では町の駐車場として使用されているのだが、校庭にあった桜の木などもそのまま残されている。
「あの桜、まだ残ってたんだ。」
 信号で少し停止した後、また駅へと向かいはじめた。神崎駅のバス乗り場は、青系の塗装を身にまとったバスが集まっている。全部、東海電気鉄道のバスで、鉄道とバスの事業を受け持っている。端にあるタクシー乗り場では、東海電気鉄道の子会社『神崎東海タクシー』と、何台かの個人タクシーが肩を寄せ合って客待ちをしている。純一が運転するバスが駅に到着すると、それを待ち受けていたかのように電車が到着した。三島方面からの行楽客が大半を占め、スーツ姿の人はあまり見受けられない。純一がバス待合場へバスを止めると、駅のほうへと歩いていった。
「オッス!純一」
「よっ!滝川、元気だったか?」
 久しぶりに目を合わせて声をかけたのは、神崎駅で駅員として勤務する滝川修平だった。同じ頃に入社したので、顔なじみでもあった。
「純一がバスの運転手になるなんて思いもしなかったな。鉄道の方だったら、今頃車掌をやっていただろうに…」
「でもまぁ、バスを運転するのも悪くはないさ」
 ふと、純一はホームの方を見た。バスと同じ色をした電車が多くの乗客を乗せて、颯爽と発車していった。ホームに立つ駅員に敬礼をした車掌が、純一にははっきり見えた。
「やっぱり、未練でもあるのか??」
「あるといえばある。ないという嘘はつけないしな」
「やっぱりあるのか…」
 ふと、滝川のほうを向き直ると、バスを眺めて言った。
「ごめん、そろそろバスの出発時刻だからさ」
「あぁ、こっちも駅の業務が忙しくなりそうだしな。またな」
 そういうと、滝川は駅舎へと入って行った。その後、純一は待機上の方へ向かって歩いていくと、バスを所定の乗り場へ移動させ、客扱いのためドアを開けた。
『このバスは、青海温泉場経由青葉台駅行きでございます』
 少し待っていると、温泉場へと向かう行楽客が乗り込んできた。いつもとは変わらない光景である。ふと電車のホームのほうを見ると、愛美と姿の似た人の姿がそこにあった。目を凝らしてもう1度見てみると、そこに、その人はいなかった。
『…誰だったんだろう。幻だったんだろうか』
 純一は、その一瞬の光景に疑いを抱いたまま、純一はバスを発車させた。
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